アイドルを推すのと合気道の氣で推すのは同じこと:合気道と同じシリーズ

アイドルとか、まぁなんでもいいんで推してるもんがある人は合気道に必要な「推す」力を持ってるって話。

推すと力が貰える


おれは長年、あいまいな国で生きてきたのでアイドルというものがよーわからん。あまりにも遠い存在すぎたんだ。
でも友人にAKB48の総選挙を奢ってもらったりして現場におもむいたことはあって、アイドルを推してる人達のパワーを感じたことはある。
あれは凄くて、その圧倒的なパワーに押されて触れられてもないのに下がってしまう。
なぜそんなパワーが出るのかというと、それは「推し」ているからだ。アイドル好きな人がたまたま特別なパワーを持ってるんじゃなくて、何かを「推す」ことでパワーが生まれてる。
確かにAKB48の総選挙はほぼ知識ゼロのおれがみても感動的だったりしたけれど、おれには何のパワーも出ないし、感じない。
推してないからだ。

氣で推す


氣って言葉は意味があいまいでどうとでも解釈できるんだけど、ちょっとそれ以外ではニュアンスが伝わりにくい現象ってのが合気道にはある。
何かっていうと、それは技とかをかける稽古をする時に相手を氣で押すこと。
もちろん物理的に押せるわけじゃないけど、意思は伝わる。「あ、この人おれを攻撃する気だ」っていう意思。
迫力みたいなもんかも知れない。例えば大量生産の安いコップと職人が手作りしたコップのどっちが迫力があるかといったら、大抵は職人の手作りの方が迫力がある。
そういうやつだ。
攻撃してくる気がある人とない人では迫力が違う。

推す姿勢はブレない


合気道には稽古として色んな技のゴチャゴチャした動きがある。
でもそのゴチャゴチャした動きは本質的に意味はない。例えば武器とかなら一瞬で決着はつくものだからだ。
合気道で稽古しているのは、どれだけ長く勝った状態を維持できるか?だ。
だから最初の接触をする前から、もう相手には氣を伝えて勝っておかないといけない。そしてゴチャゴチャなにかやってる間もずっと勝ち続けていないといけない。
一瞬たりとも氣を出すことを緩めてはいけない。
氣で推しているから勝てる。他の事に氣を取られるとブレる。一点に集中できなくなる。そんな状態では相手からパワーを貰えない。
「推す」という行為は、やろうとした瞬間にはすでに終わっていなければならないのだ。

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荒木飛呂彦著「ジョジョの奇妙な冒険」より抜粋
プロシュート兄貴による合気道の極意解説


推しを決めたらブレてはいけない。グッズを買うのもライブに行くのもコールをするのも全部推しのためなのだ。
腕の角度がどうとか、握り方がどうとか、立ち方がどうだとかいうのは、本質ではない。一番はじめの段階で推す瞬間にすべての位置は決まっている。
推しているんだから、相手がどんな反発をしてもその力を貰うことができる。推し勝っているのだ。力で推すのではなく、心で推す。そうすることで迫力が出る。
合気道では迫力は魄力(はくりょく)だと言われている。魄とは魂の反対、つまり物体だ。迫力があるということは肉体や物体に魂が宿っているということだ。
推している時は魂を宿らせることができる。

永遠に推せるもの

ただし「推す」というのは対象がなければならないし、対象が弱いとあまり推せない。
推しきってしまったら、終わってしまう。
ひとつのものを推し続けてもパワーを無限に貰えるわけじゃない。
なら、どうすれば良いか? 答えは合気道にある。
合気道とはあらゆるものを推す武道だからだ。あらゆるものを推してエネルギーを貰うのだ。
アイドルグループの中の一人を推せるなら、グループ全体も推せる、グループが推せるならコミュニティも推せる、そして新しいグループが生まれまた育っていくサイクルそのものを推せるようになる。
それはもう宇宙の法則だ。あらゆるものが生まれ育って衰え死ぬが、また別のものを残していく。その在り方がわかれば宇宙を統一できる。
それが合気道だ。宇宙を推して宇宙のパワーを貰い健康になる。
つまり何かを推せる人はすでにその素養を持っている。何かひとつを推している時はすべてが集中してひとつになっている。バラバラだったあらゆるものがひとつになっていく。
宇宙の統一だ。だからこそ、宇宙のパワーを我が物として健康になれるのだ。
さぁ、推せるものを見つけるんだ。それはやがてあなたの、あなただけの合気道になるだろう。
これが「推す」ということなのだ。


おわりだ。

マツリの合気道はワシが育てたって言いたくない?