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合気道が抱える問題をストーリーとしての競争戦略から考えてみた

合気道では力を抜く、緊張を取るといった手順が必要だ。
もちろんそれがわかったからといって実際に力を抜いたままでいられるかというとそうもいかないけれど、理想としてそういう状態があるということを知った上でやるのと、それを知らずに力を入れるのではたどり着くゴールが変わってくると思う。

楠木健の『ストーリーとしての競争戦略』は色んな企業が実施した戦略をその企業の作り出すストーリーとして捉えなおすことで本質を見つけ出すという試みをしていてかなり面白い。

この中に『自滅の論理』というのが出てくるんだけど、これがなかなか合気道でも同じことが言えてしまう。

成功する企業のキラーパス

企業の戦略をストーリー性を軸にして組み立てるとうまくいく、的なことがこの本の趣旨で、色んな企業をストーリー的に分析している。
雑に似たような例を挙げると、それは「しょぼい起業」とか「うつでも起業」の概念に近いと思う。

店に住んでしまったり、通学しながら配達したり、料理しているならついでに数人分増やして売るとか、生活の中を資本化するのがしょぼい起業だ。
あるいは双極性障害なので、その特性を活かせるように躁の時にYouTubeを撮りだめしたり、大企業が目を向けない隙間にビジネスチャンスをみつけたりするのが「うつ」でも起業の概念で、こうすることで同じ障害を持つ人を雇うこともできる。

こういうのは一般的な企業からしてみるとまったく合理的じゃない。
店に住んで貰っては困るだろうし、うつになる人材を活用しようとはなかなか考えられないし、コストのかかるニッチな分野で勝負しようとは思わないのが普通だ。
「ストーリーとしての競争戦略」では、こういう一見すると合理的ではない行為を通常のパス回しと比較してキラーパスだと表現している。
そしてこのキラーパスがなければ全体の個別の戦略であるパスが繋がらない。

自滅の論理

もし、しょぼい起業やうつでも起業がうまくいった時に、競合他社がそれをマネしようとするとほとんどの場合はうまくいかないというのが「自滅の理論」だ。

うまくいっているからといって大手企業がマネをしようとして形だけマネしていくと、店に住むとか、余剰を仕事にする、うつの時は寝る、みたいな企業としては合理的でない部分(キラーパス)だけはマネできない。
ところがその不合理な部分がないとパスがゴールまで回らなかったりする。

その結果、マネしようとした企業は逆に自分のバランスを崩してしまい、パスが繋がらないために自滅してしまう。
というのが大まかな自滅の理論の内容だ。
要するに形をマネしようとした結果、一番重要な部分が合理的に思えないので抜けてしまうということ。

合気道で起こる自滅

これと同じようなことが合気道でも起こっているように思う。
合気道がうまい人は接触して力が必要になるずっと前の段階で力を入れなくていいようにするための準備が始まっている。
だから相手は楽々動かされてしまうし、対応が遅れていく。

手を掴まれてから、それをどうするか? というような部分的な話ではなくて、相手が来る前からもうはじまっている。
より全体的な流れに対処しているわけだ。

これを形だけマネしようとすると、部分に注力してしまう。
この場面ではこう……、こう掴まれたらこう……、というような術の面だけしか見ずに全体としての道が見えない。
あるいは力がないとこういう風にはならないと思い込んでしまったりする。
全体でどんなパスが繋がった結果、技が完成しているかを考えなきゃいけないってことだろう。

まとめ

ストーリーとして戦略を捉えるというのは、全体を見る、ということに近い。ストーリーとして面白い戦略は思わず人に語りたくなってしまうし、組織の中でも共有しやすくなる。

企業の競争戦略に限らず、色んな分野でも同じようなことが言えるだろう。

そして、やっぱり一見すると合理的でないけれど、それがあることによって全体が繋がっているという非合理を合理に変える戦略が大事っぽい。

マツリの合気道はワシが育てたって言いたくない?