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合気道はなぜ「剣」が基本だと言われているのか考えてみた

合気道は素手でやる武道なのだけれど「剣」が基本だと言われていたりする。なんで素手なのに剣?というのはもっともな疑問だ。

個人的にはこれには色んな理由があって、それを総合してやっぱ剣なんだろうなと思ってる。

歴史から考える

合気道に大きな影響を与えた大東流は1100年代くらいから続く流派だと言われてるけど、あんまし記録に残ってない。

(甲斐武田家に伝わっていたとか)

秘密裏に伝わってたからって説はロマンがあるけど、自流に箔をつけるために『古くから伝わってたこととする』のも珍しくない時代のことだ。
どっちかと言えば大東流の伝承者を名乗った武田惣角が凄かったって方がまだ信憑性はあるように思う。

で、惣角は剣術をかなり稽古していたらしい。
折しも日本最後の武士達の戦争となった西南戦争が終わり、剣がなくなっていった時代なので剣術の技を徒手に移そうとしたとしてもおかしくはないってことだ。

体術から考える

そもそも剣を構える姿勢というのはかなり安定した姿勢だし、抜刀の時に剣を押さえられた時の対処なんかは剣がなかったとしても同じような動きで対処できる。

武術は争いのための技術だったので、何か武器になりそうなものがあればそれを使い、なければ素手で戦う。
そういうときに素手と剣と棒と槍でそれぞれ技術体系が違うと都合が悪い。全部覚えるのに時間がかかるからだ。

だからどんな武器でもだいたい同じ動きで同じ事ができるように体系化した方が効率がいい
そういう理由からも剣が基本にあっていいし、実際に剣を持って稽古してみると素手にも応用できることがわかるはず。

思想から考える

日本では剣は昔から特別なものだった。
三種の神器に剣があるように、祭事に使われていたし、両刃であることは自他の双方を釣り合わせる意味合いもあったんじゃないだろうか?

(まさかの三種の神器もAmazonで買える時代)

禅の用語であり、柳生新陰流でも言われた『殺人刀、活人剣』にも相手を殺すのは片刃の刀、活かすのは諸刃の剣という考えがあったのかも知れない。

また合気道は真釣儀(マツルギ)であるとも言われている。
真に釣り合わせることは真釣(マツリ)であり、そして真に釣り合わせる儀式は釣儀(ツルギ)によって行われるのだ。

釣儀が基本

この体術と思想が両方とも剣に繋がっていることが、合気道は剣が基本と言われる所以なんじゃないだろうか?

このふたつが「一緒なんだ」と思えることはある種の感動があるし、一見すると違っているものも、共通しているというのは人類の営みの歴史を感じることができる。

そんなわけで、合気道は剣(ツルギ)が基本!と思う。

 



おわり

マツリの合気道はワシが育てたって言いたくない?