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合気道で楽しむ神社:志賀海神社編

福岡県の志賀島ってとこにある志賀海神社に行ったときの話をしよう。

九州ってのは古事記にもゆかりのある土地だし、合気道は神道とも関係があるのでその観点を持ってると色々と楽しめる。

ちなみに志賀島はなかなか楽しいとこだし、海の幸がウマイ。

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志賀海神社

志賀海神社で主に祀られているのは中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)、底津綿津見神(そのつわたつみのかみ)、表津綿津見神(うはつわたつみのかみ)の三柱

海神の総本社と言われてて、もともとはそれぞれ一社ずつ神社があったのが一つに統合されたそうな。

ちなみにこの三柱の神様がどんな感じで生まれたかと言うと、なんとあの比較的有名なイザナギとイザナミのエピソードに由来している。

イザナギとイザナミ

イザナギとイザナミの有名なエピソードと言えば、うっかり火の神を生んでしまって焼け死んだおちゃめなイザナミを取り戻すために、自分の子供である火の神をブチ殺すほど激怒したイザナギが黄泉の国へ行くという話だ。

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まだ喧嘩してない頃のイザナギ(右)とイザナミ(左)が天地をつくっている様子、めっちゃ仲よさそう

黄泉の国の食べ物を食べてしまったイザナミはもう帰れないというのだが、外の世界に出るまで絶対にイザナミの顔を見ないという条件で黄泉の国から出ることを許される。

ところが我慢できなかったイザナギは思わず振り返ってイザナミを見てしまう。
そしたらビックリ!イザナミは死んだままの肉体なのでうじが湧いてるわ、骨は見えてるわでイザナギは見た瞬間「こんなのおれが愛したイザナミじゃねぇ!」と逃げ出す。

約束を破られたイザナミは「話がちげぇぞ!」とブチギレで追いかけてるが、イザナギはすげぇ魔除けの効果がある桃を投げつけて撃退し、ドデカい岩で黄泉の国の出入り口を塞いでしまう。

元祖ヤンデレとなったイザナミはキレながら「この落とし前に毎日千人の人間をブッ殺してやる〜」と叫び、イザナギは「だったらおれは千五百人産んだるわ!」と言い返すという古事記でも有名な痴話喧嘩がコレである。

その後、黄泉の国の穢れを落とすために近くの川でイザナギは禊をするのだが、その時に底から生まれたのが底津綿津見神で、真ん中らへんで生まれたのが中津〜、一番上で生まれたのが表津〜というわけ。

Tips
このときにスサノオやらツクヨミやらも生まれることになるので、もっと前からいたとか、諸説あるらしい。こまけぇこたぁ知らねぇよ。

とにかく、この壮大な話のオマケみたいな感じで生まれたのが志賀海神社の三柱の神なのだ。

神道の神の特徴

神道の神ってのは陰と陽とその大元みたいな感じで三種類、もしくは陰と陽の二種類が対になっていることが多い。

イザナギとイザナミも凪と波を名前に持ってるし、上中下みたいな感じでだいたいの物事は2〜3分割で説明できてしまう的なことを現している気がする。

ちなみに志賀海神社の紋は三つ巴と呼ばれる勾玉みたいなやつが三つ円の中に収まってるようなマークなんだけど、ここら辺にも三柱の神を祀ってる意味合いがあるように思える。

合気道の技も陰陽や三つ巴のような分類で語られることが多い。

水が渦巻く様を図案化したとも言われているので、まさしくこの神社の神々にちなんだ紋だ。

ちなみに神社ではスサノオやアマテラスも祀られており、合気道ゆかりの神々もいてお賽銭を投げまくるハメになりました。

おまけ

志賀海神社にちなんだ万葉歌碑もあった。

ちはやぶる鐘の
岬を過ぎぬとも
われは忘れじ
志賀の皇神

万葉集:巻7・1230

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ちはやぶるは荒ぶるの正しいバージョンみたいな意味があって鐘の岬は織幡神社が鎮座する岬なのだとか。

航海の難しい海で、神が荒ぶらせる海だと考えられていたのかも知れない。

合気道的にはちはやぶるはコントロールされた荒ぶりと言えるかも。目指せ、ちはやぶる合気道!

以上、合気道のレンズがあると神社が少し楽しくなるぜ、ということで。



おわり

マツリの合気道はワシが育てたって言いたくない?