「弱さ」の利点と「強さ」の問題点:合気道で見える低燃費
世間では何かと強くなろうという風潮があるけれど、ホントに強くなればいいんだろうか?
合気道をやっていると、弱い方がイイんじゃないかな~と思う事がある。みんな強くなりたいと願うけど「イメージする強さ」と「実際に強いこと」と「強そうに見える」ことはぜんぜん違う。
強くなるということがどういうことなのか、具体的に理解していないまま強くなろうとしても、なかなか難しい。
年老いても強い?
おれがお世話になってる道場は老人が多い、合気道を何十年とやってきた65〜80代くらいのじーさんだらけで、40代くらいまでは若者あつかいだ。
(鳥山明『DRAGON BALL』より)
こんな亀仙人みたいなじじいはいない
じーさんたちは若いもんをものともしない。
けどそれは筋力があるとか、動きが素早いからってわけじゃない。それなら若い方が上だ。
彼らが若者に太刀打ちできるのは、型稽古という合気道の独特な稽古スタイルだということもあるけれど、それによって色々なテクニック、身体の動かし方を知っているからで、長年の経験から得た知識で若い者の単純なパワーを翻弄している。
弱くなったからできること
そういう方法を知っているのはじーさんたちが肉体的には衰えているからでもある。若い時というのはなかなか力を手放せない。
力がある、体力がある、そのせいで手抜きができないのだ。
強い人間というのは、その強さ故に頑張ってやってしまう。
その結果、相手を頑張って押すためにフルパワーを出して、肩で息してすぐにバテる。
燃費が悪い。
じーさんは相手よりもちょっと下に入ったり、相手の力が入らないようにしたり、小賢しいことをしてラクしてる。相手が100の力を使っているとしたら、せいぜい10くらいしか使ってない。
低燃費なのだ。
同じように力で競い合っていると思っている相手からはどんなに力を込めても動かない妖怪みたいに見えるかも知れない。
でも実際には化け物みたいに鍛えていて強いのではなくて、別のところを使っているから強く見えるだけだ。
強さの問題点・弱さの利点
これは別にじーさんだけの特権じゃない。同じことをしたければ、じじい並みに弱くなればいい。力で勝負することをやめればいい。単純な力の勝負をしなければいい。
実際にそうやって力をあきらめてみると、色々なことがわかってくる。
弱いことの最大の利点は燃費の良さだ。
強ければそれだけ馬力も使うのでとにかく燃費が悪い。
その結果どうなるかというと、弱いというだけで稽古できる回数や時間が圧倒的に増える。
意味のあるトライアンドエラーの回数が圧倒的に違う。
強い人が頑張って1回やることをラクに10回できる上に、力を使わないというしばりがあれば成功するか失敗するかがすぐわかる。
逆に強いと雑になってしまうからこそ、勝ち負けの境目が見えない。もう勝てないのにまだ勝てると思って頑張ってしまう。
もしかしたら無理して勝てることもあるかも知れないけれど、それはギャンブルみたいな勝ちであって価値あるデータにはなりにくい。
もちろん力を入れることが無意味だとは言わないけれど、力を抜くことも大事なのだ。力が抜けていれば視野が広がる。
まとめ
力を入れ過ぎるとまわりが見えなくなる。
力を抜けば変化が読める。
人間は衰えるから、衰えてから工夫するより衰える前から工夫しといた方が面白いかも。
Tips
最近読んだ『うつでも起業で生きていく』という本でもうつ病だからけっこうな頻度で寝込むけど、元気な時に塾講師として授業を一日かそこらで撮影して動画で見て貰って一年もたせてる、みたいなエピソードがあって力がなくてもあるように見せることはできるよなぁなどと思っていた。
おわる