相手の力を自分のものにする合気道で雑談力を高めよう
かけひきの存在するところに合気道はある。ぶつかりのある所に合気道はある。最初から勝っていることに気づくのが合気道だ。
では、会話に勝ちとか負けなんてあるだろうか? もちろん交渉とか口論には勝ち負けがあるけれど、普通の雑談にはない。
だから合気道にはできない。
~完~
板垣恵介著『バキ』より
勝負ではない場面で勝ち負けがないのは同じルールでは戦えないからだ。
じゃんけんだと思っていても、あいこなら勝ちだと思ってるやつや、パーを出したら勝ちというルールでやってるやつらがいる。
ルールがそれぞれ違ってゲームにならない。
だけど、それは逆に言えば勝利条件は好きに決められるということだ。
勝ち負けのない世界で勝利を目指すのが今回の「入身」だ。自分から攻めこむことを入身という。勝ち負けの枠組みがないならつくってしまえばいい。攻め込むのだ。
勝っている会話とは何か?
雑談には勝ち負けなんてない。けど、面白くもなんともない雑談だってある。つまらない雑談は負けだ。
どうせなら楽しい話をしたい、人から良い反応を引き出したい。そういうもんだ。時間を無駄にするくらいならこうやって遊べば良い。
これも引力の練磨。
引き出した話が面白ければ勝ち。ありきたりな話を面白い話に育て上げてもいい。
自分が勝つためには当然準備が必要になる。雑談っていうのはお互いに捉え所がない状態からはじまるので話のとっかかりを見つける必要がある。
どうやって相手の力を引き出すか?
話を深くするためにはどいうテーマの話をするかをみつけなくてはいけない。そうすることで拮抗が生まれる。
合気道では相手の力を引き出すために、まず相手とひとつになる。
イメージ的には二人が互いに両肩をガシッと掴んでお互いに相手にもたれかかってるような拮抗状態だ。
こうすると片方がゆらゆら揺れだすと、もう一方もそれにつられてゆらゆらとついてくる。
同じ物体になってるからだ。
地震でビルが揺れるようなもんで、地面と繋がってると地面の動きをダイレクトに受ける。
この時に大事なのが一緒に揺れながら自分だけはしっかりした位置を見つけることだ。相手の反応を利用しながら一緒に動きながら自分は主導権を握る。
すると相手だけが崩れて行く。
ソクラテスとひろゆきに学ぶ
会話で上手に相手を崩してる人といえば「ひろゆき」こと西村博之氏とかになるだろう。
彼は自分の論破テクニックを聞かれた時に「ただ、わからないことを聞いているだけなんですけどね」みたいな事を言っていた。
要するにソクラテス式問答法だ。
「〇〇ってどういう意味なんですか?」を繰り返していくと相手があんまり深く考えないで言っていた場合、実は深く考えてなかったでしょ?という事実をつきつけられる。
相手が出したパワーを使って相手を崩す方法だ。
ソクラテスはこの方法を使って、かしこぶってるやつらは実は全員なんも知らねぇという事実をあぶりだした。
相手の力を良い方に導く
このやり方はめちゃめちゃ強力な反面、ソクラテスはこれをやりすぎて死刑にされた。
現代でも死刑にされないまでも嫌われたりはするだろう。
誰だって自分が実は思いこみでしゃべってたとか、なんも考えてなかったという事実を突きつけられたくはないのだ。
そんなひろゆきに詰められるような会話なんて雑談では絶対にしたくない。
つまりどういうことかと言えば、これは相手の出した力をどう使うかって話だとおれは思う。
相手を詰めることにも使えるし、相手の知らないことを教えて補強することにだって使えるのだ。
言葉の転換「パラフレーズ」
会話が苦手でも話を続けるテクニックとしてオウム返しというのがある。というか会話というのは結局ののころどうオウム返すか?ということになる気がする。
オウム返しレベル1はとりあえず相手が言ったことを確認するように繰り返す。
「オウム返しって相手が言ったことを確認するみたいに聞いたらいいんですね?」
これの応用としてパラフレーズというのがある。要するに言い換えのことだ。
「そうです、こだまが返ってくるように繰り返せば良いんです」
これをさらに上手にやっていくと、まるで違う話をしているように、相手の話を繰り返してやることができるはずだ。
「自分の声って自分にも聞こえてるんですよねー」
力を利用して産み出す
異なるもの同士がひとつになると、同じだということがわかる。オウム返しをしながら相手と拮抗できる同じや似てる要素の話題を探す。
拮抗できれば同じものになる。同じものはひとつなので一緒になって動く。
片方が動き出すともう一方も動く。合気道で人を崩すのと同じことだ。
そうやって2人の知識を使って協力して話を転換し予想していない場所へと持っていく。
新しいものが産まれる。
これが合気道だ。男女が子を産むように、月と太陽が夕焼けを産むように、陰陽の交わりが新たなものを産み出していく。
戦って産み出す
戦いとは、他と他を交(か)わすこと。情報交換だという話がある。
振り返ってみるとこれまで書いた合気道の記事だっておれが誰かとタタカった結果だ。
「合気道をアンジャッシュ渡部の記者会見で説明してみて欲しい」「アイドルを推すと元気になる」「ご主人様は本当に必要な時にちゃんとケアしてくれる」「合気道にデメリットってないんですか?」
全部他人と関わらなければ産み出せなかった。
そもそもこの記事だって「会話って合気道ですよね?」と博士課程の男から言われなきゃ思いつきもしなかっただろう。
トウテムポール著「或るアホウの一生」より
やらないか?
おわかり頂けただろうか?
会話も合気道だ。一緒に新たな産み出しをする共同作業。
おれが書いた記事がすでに会話で合気道ができることの一種の証明でもある。
合気道でもそうであるように、相手を倒したいとかこう動いて欲しいとか、記事のネタにしたいとかいう力を出すと多分相手にも伝わってしまう。
でもそのあたりを語るにはもっと稽古をしなければなるまい。
だから、おれと合気道をしないか?
おれと話そう。もっとうまく転換したい。もっと多くのものを産み出したい。
もっともっと合気道がしたい。森羅万象を合気道にしたい。
だから連絡をくれ、DMをよこせ、何かしゃべれ。
そんな気持ちになっている。
今年に入ってまだ10日も経っていないのにこんなに勢いが出るのも、色んな人と話せているからかも知れない。
色んな人と交わって新しい合気道に出会いたいという意味不明な欲求が生まれてきている。
まとめ
他人の経験や知見を使って雑談を面白くしよう。
そして新しいものを生み出そう。それが合気道。何かを生み出すにはそれぞれ違う者同士が交わって産み出す必要がある。
だから誰かとしゃべって、なんかをつくろう。
おわり
マツリの合気道はワシが育てたって言いたくない?