プロジェクトは成功させなくてはならない
今週は鹿児島出張で、出張後に一泊して金曜日の午後から土曜日は鹿児島観光しようと思っていたのだけれど、そんなときに限って豪雨でJR在来線が全面ストップ。仕方がないので昨日は熊本まで新幹線で移動して熊本を散策してきた。飛行機は早割で撮った鹿児島空港の夕方の便なので変更もキャンセルもできず、今日は鹿児島に戻る必要があるのだけれど、結局今日も鹿児島の在来線JRは終日運休。午前中に鹿児島に戻ると雨は降っておらず、曇っていて蒸し暑い。土砂災害の危険や線路の点検が必要で今日は運休しているのだろう。
晴れているので昨日の熊本に続いて鹿児島でもシェアサイクルを借りて市内を散策することにした。桜島フェリーの桟橋まで走って桜島を眺めた後(雲で半分しか見えなかった)、西郷隆盛終焉の地や西南戦争で彼が最後の5日間を過ごした洞窟などをめぐる。西郷隆盛が西南戦争で自刃したのは49歳の時。もうすぐ自分もその年になる。別に自分と歴史に名を遺す偉人とを比べるつもりはないけれど、40年50年という年月は人間が何かをなすにな十分な時間なんだと、ふと思う。
そのあとは中途半端な時間だったけれど、早めにリムジンバスで鹿児島空港についてラウンジで音楽を聴きながら本を読んで過ごす。
長期出張の時は移動時間や空き時間ができるので、kindleで本をダウンロードして読むことが多い。出張の時は自分の職場を離れて仕事のことをから少し距離を置きたくなるので小説を読むことが多くなる。今回は村上春樹の「ねじ巻き鳥クロニクル」を読んでいる。前に読んだのは大学院のころか、就職してすぐのころ。読み返しても内容はいつも通り全く覚えていない。私は本を読んでもほとんどすべて忘れてしまう。村上春樹の本は特に顕著で、とても面白いのだけれど、読んだそばから忘れてしまう。それがいいところだと思っているくらいだ。私は別に知識を集積したり何か実際の生活に活かしたいと思って本を読んでいるわけではない。むしろその反対で、何かを忘れるために本を読んでいるようなものだ。きっと忘れたい何かと一緒にその本の内容も忘れてしまうのだろう。
「ねじ巻き鳥クロニクル」の主人公は会社を辞めて家で家事をして過ごしている。村上春樹のいつもの小説の通り、ちょっと不思議な人たちが彼の人生に登場し、ちょっと不思議なことが彼のまわりでおこり、彼のおもいと全く関係なく、彼はそれに巻き込まれていく。いつも通りの主人公だけれど、私は思う。彼は彼の意志と全く関係なく不思議な出来事に巻き込まれているように見えて、実際はそれまでの彼の生き方や考え方が彼をその場所に連れて行ったのだと。ちょうど西郷隆盛が自分の本心とは別に若い信奉者たちの熱意に負けて彼らに命を預けたようにみえながら、本当は彼のそれまでの人生そのものが、その場所に彼を導びいていたのと同じように。
私の家にはテレビはないので、普段一切テレビを見ない。だから出張の時にホテルで何気なく見るテレビ番組は、日常生活でほとんど唯一のテレビを見る機会になる。ホテルの部屋にいるとなんとなく暇でテレビをつけてしまう。大体見るのはNHKで昨日は沖縄放送局のひめゆり学徒隊の生き残りの女性の話を放送していた。戦争の恐ろしさを伝える生き証人たちの声。戦争は人間を動物どころではない、野獣に変えるとその女性が言っていたのが心に残る。そして、命を捨てても国を守れという教育が、当時どれほど浸透して多くの人たちが疑うことなく戦場で命を捨てさせたのか、その教育の恐ろしさを語っていた。人は情報により簡単にそれまで白だと思っていたのものを黒だと思うようになり、さっきまで当たり前だった価値観がまったく逆転してしまう。私が子供のころから戦争の生き証人たちがメッセージを発する番組は沢山あったけれど、今ではその生き証人たちの多くはもう、90代だ。戦争を知る人たちの声が私たちに届かなくなったときに、価値観の逆転が起きないと私たちは本当に言えるだろうか。
今朝はプロジェクトXのスーパーコンピューターの回の再放送をやっていた。富士通社員たちの一つのプロジェクトに賭ける想い。プロジェクト型の仕事をやっている人間として共感することも多い。その猛烈な働き方の是非は一切無視しているようで、こういういかにも「プロジェクトX」なプロジェクトを今の時代に礼賛一辺倒で放送していいのかなと令和のプロジェクトの責任者としては思うけれど。
富士通のスーパーコンピューターのプロジェクトの責任者が「次に続く若い人たちのために、プロジェクトは成功させなくてはならない」と言っていたのが心に刺さった。プロジェクトは成功することもあれば失敗することもある。失敗したらプロジェクトの責任者(私)が責任をとればいいと私は思っているけれど、それでも多くの若者たちが自分の人生をささげている、その時間を返してあげることはできない。失敗から得られることももちろんあるけれど、それでも彼らが捧げた時間と労力を考えれば、やはりプロジェクトは成功させなけれならない。その覚悟をもって仕事に取り組むことがプロジェクトの責任者には求められるのだろう。
明治維新、戦争、プロジェクトX、ねじ巻き鳥クロニクル。
それぞれ関係ないようでいて、そのすべては私の生き方、考え方がその場所、その時間、そのドキュメンタリー、その小説を引き寄せているのだと50年近く生きていると強く思う。偶然に何かが起きたなんてことは、本当はほとんどないのかもしれない。
これから私はどこに導かれていくのだろうか。
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