見出し画像

山あり谷ありの人生で必要なもの

今年もツールドフランスが始まった。
176人のサイクリストが21日間で3,500kmを走り、52,000mを登る、オリンピック、サッカーW杯と並ぶ世界3大スポーツと言われるイベント。一日で150km走って3,900mを登り、翌日は200km走って4,850mを登る、そんなレースを3週間続ける、ちょっと意味の分からない人達。スポーツではあるけれど、ツールと言う名前の通り、旅であり、その道のりは人生そのもののようにも見える。

果てしなく続くのぼりを黙々と上り続け、頂上に着いたら休むことなく今度は下り続ける。下りのスピードは100km/h近く。土砂降りの雨だろうがお構いなしに彼らは登り続け、下り続ける。その姿を見ているだけで胸が熱くなる、そんな旅。


そんな人たちと比べるべくもないけれど、私ももう15年以上毎週ロードバイクに乗り、山を黙々と上り、そして下る生活を続けている。今日も近くの手稲山に登ってきた。獲得標高500m、30分そこそこのちょっとしたヒルクライムだけれど、30分間で自分の力を使い果たし、体中のエネルギーが枯渇してもうこれ以上何も絞り出せないという感覚に到達できる体験は、なかなか他で味わうことができない。自分の限界まで何かをやる、という経験からは年を重ねるほどに遠ざかっていく。そんな中で自分が頑張ればどこまでできるのか、を定点観測するために、そして自分は自分の限界まで頑張ることができるのだということを確認するために、私は毎週同じ山に登り続ける。今日で385回目の登頂。69番目のタイム。まだまだできる。私は1番目のタイムを目指して上り続ける。



ロードバイクはいろいろなパーツで構成されている。車体となるフレームにハンドル、ペダル、ブレーキ、ホイール、ギア、サドル。最初に買うときはほとんどの人が、そのまま走ることができるように1セットでアッセンブルされているものを購入することになるのだけれど、色々なパーツを交換できるので、すぐにもっといいパーツに交換したくなる。エンジン(=自分の肉体)を高性能化するのが早くなる一番の近道なのだけれど、それはさておき自転車パーツの高性能化に目が向いてしまうのはサイクリストのさがだろう。

色々なパーツがあって、値段もピンキリ。それこそホイールなんてロードバイクに乗らない人が聞いたら「あ〇まおかしいんじゃないの?」と言う値段だ。わたしは自分のエンジンをわきまえて自転車のパーツを選んでいるのでささやかなものだけれど、趣味の世界だからそれは好きにしたらいいと思う。

そんななかでも、初心者のひとが一番最初に交換してほしいパーツがある。


それは「ブレーキ」だ。
とても地味なパーツで、初心者にとっては区別がつかないのでセット販売されているときはブレーキはどうでもいい安物が付いていることが多い。最近はディスクブレーキになってきたので性能がよくなっているのかもしれないけれど、私が最初に買ったロードバイクのリムブレーキはよくわからないメーカーの安物のブレーキが付いていて、最初に買ったときは「ロードバイクのブレーキってこんなに効かないの?」と思いながら乗っていた。

もちろんプロがそんなブレーキで100km/hで山を駆け下りることなんてできるはずもなく、プロの使っているブレーキはよく効く。そしてそのブレーキはちょっとお金を出せば普通に買うことができる。安物のブレーキとプロが使うブレーキは多分一万円程度の差しかなく、ホイールなんかと比べたら誤差見たいな値段だ。なんで最初からいいブレーキをつけないのか本当によくわからない。


プロの選手がトンデモないスピードで山道を駆け下りていけるのは、自転車を制御できると確信しているからで、その確信の根拠となっているのは、ブレーキだ。自分がブレーキをかければ自転車はスピードを緩め、急カーブを曲がっていく事ができる。どんな急こう配の下り坂も、自分の思うスピードで降りることができるのは、信頼できるブレーキがあるからだ。

自転車をコントロールするために一番必要なのは高性能のブレーキなのだ。
そしてそれは長い人生でも同じだと私は思う。

長くで雨に濡れた急な下り坂。人生でそんな坂に巡り合いたくはないけれど、自分で決められない道を走らざるを得ないのも人生だ。そんな坂を駆け下りろと言われたときに、ブレーキ無しだったらあっという間にクラッシュしてしまうし、効きの悪いブレーキしかついていなかったら恐ろしくて目一杯ブレーキを握りしめてゆっくりゆっくり降りることしかできなくなる。

でも性能のいいブレーキをもっていて、自分がどんな時でも自分の意志でスピードを調整しながら最適なスピードで駆け下りることができるとわかっていれば、そんな下り坂を、自分なりのペースで走り抜けることができる。

自分の思う通りのスピードに調整できるブレーキを持っていれば、人生をコントロールできる。若いころは、高性能のホイールに目が行きがちだけれど、長い人生を走り続ける上で、一番必要なのは、性能のいいブレーキだと、50年近く生きた人間として断言できる。

どんなにスピードが出せるホイールをもっていて、スピードが出せるようにトレーニングを積んでいても、下り坂に差し掛かってブレーキがなければ、自転車を降りるしかなくなる。そして人生は山あり谷あり、それは比喩でも何でもなくその通りなのだ。


人生はよく登山にたとえられる。
でも人生は、山頂を目指すものではない。登ったり下ったり、それが人生。

高みを目指さない私のような人間にとっては、登った分だけ下るのが人生だ。いいブレーキを持っていれば、スムーズに下ることができて、そしてまた次の登りを目指すことができる。

下り坂をいかにスムーズに走り切ることができるか。自分で自分にブレーキをかけられる人間ほど、スムーズに下り坂を走ることができる。そして、下り坂の時間を減らすだけ、また新しい上り坂を登ることができる。

自分がどれだけスピードを出せるのかと言うことと、自分がどれだけ良く効くブレーキを持っているのかというのは実はほとんど同じ意味なのだけれど、それを知らない人がたくさんいて、その多くは運が良くてスピード違反で捕まり、運が悪ければガードレールに激突する。


自分の人生にブレーキをかけられるか。
それは、自分の人生をコントロールできるかという問いと同じ。

自分にブレーキをかけられる人間だけが、山あり谷ありの人生をちょうどよいスピードでクルーズしていく。それがどんな道のりであっても。












この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?