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2002年、25歳でがんになった「わたし」へ 魂の回復の記録

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2002年25歳社会人1年目に顔に骨外性骨肉腫を発症し手術療養で9か月休職。再発なくもうすぐ20年を迎えます。発病から闘病、解雇通告、職場復帰、結婚など、AYA世代のがんサバイバ… もっと読む
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鈍感ライフのすすめ

コロナウイルス陽性ということで、おとなしく自分の部屋に引きこもっている。妻は強力な免疫力を持っているらしく、今のところなんともないようだ。私は彼女と25年以上一緒にいるけれど、彼女が風邪をひいたり熱をだしたりしたのを見たことがない。同じ人間でもこれだけ免疫力に差があるのは不思議な気がする。進化の過程で厳しい世界をかいくぐってきた祖先とのほほんと生きていた祖先の差なのだろうか。ただ単に日々の生活の不規則さの差かもしれないけれど。 相変わらず喉はいたくてたまに咳もでるけれど薬を

25歳の東京タワー

休みの日は朝6時からロードバイクに乗っている。冬の間はインドアサイクリングしかできないけれど、札幌ももうすぐ雪解けだ。 今日も朝から一時間ロードバイクを回して、そのあとにシャワーを浴びてから妻と一緒に朝食を食べに出かける。今日は家から少し離れたホテルのロビーに併設された24時間営業のブックカフェに行ってきた。 オレンジのドライフルーツが練り込まれたハード系のパンとアイスカフェオレを注文して、待っている間に本を探す。 ブックカフェは雑誌類はあまりないし、本をじっくり読むほ

3月9日_あの頃求めていたもの

今日の札幌の最低気温はー8℃。 春はまだまだ先だけれど、スマホが頼んでもないのに表示してくる「あの頃」の写真では、もう桜が咲いている。 まだ東京に住んでいたころ、日曜日になると妻と二人で当時住んでいた西日暮里から千代田線に乗って北千住に行き、荒川の河川敷を散歩した。 16年前の3月9日の写真がでてきた。荒川の写真があるということは16年前の今日も日曜日だったということだ。私は東京にいたころは土曜日は100%仕事をしていたから土曜日ではなく日曜日だ。それにしてもなぜフィルム

明日も生きていく_2月の桜

今日は久しぶりの東京出張。 見渡す限り全てが凍り付く氷点下の札幌を早朝出発して東京につくと気温は17℃。天気予報を見て温度差があるのが分かっていたので我慢して薄着で来たのだけれど、歩いているだけで汗が出る。仕事は午後からの予定で、10時過ぎに近くについたので単身赴任のころよくいっていた公園近くのカフェで朝食をとりながら仕事をする。近くの川岸に桜が咲いていて目を疑ったけれど、調べてみると河津桜という早咲きの桜だそうだ。札幌で桜が咲くのはゴールデンウィーク頃なので、3カ月近く季節

あいまいさに耐える力

2週間前に職場で突然意識を失い救急車で運ばれた。 脳梗塞を疑われMRIで脳を検査されたけれど、異常なし。心疾患の可能性もあるということで心電図をとったけれどこちらも異常なし。 今日は検査第三弾、脳波の検査を受けて来た。予想していたけれどこちらも異常なし。ただし、脳波は継続的に検査する必要があるということでしばらく経過観察を続ける必要があるようだ。 倒れたときに全身硬直やけいれんがあり、症状としては「てんかん発作」が疑われる。クリニックの先生によると、一度だけ発作でその後

理不尽で素晴らしい人生を、ただ生きていくこと

昨日から年末年始の休暇に入った。札幌は近年ないくらい穏やかで暖かな年越しになりそうだ。私はいつも通りの休日。インドアサイクリングでロードバイクに二時間乗って妻とイオンに行って買い物をして、いつも通りの食事をする。正月になると今まで食べていた魚(普通の鮭なんか)がどこかに追いやられ、大量の数の子やらカニやらが売り場に並ぶ。いつも通りの食事をしたい人にとっては不遇の数日間が続く。 仕事納めの夜に大学時代の友人と2年ぶりに会ってすすきののクラフトビールが飲めるバーで二人で飲む。か

20年で20歳年を取るということ。

1枚の写真が手元にある。 26歳の私が法被を着て写っている。隣には同じく法被を着た坊主頭の小柄の青年。23歳のU君。何の時の写真か全然覚えていない。たぶん社内懇親会とか餅つきとかそんなイベントの時の写真だ。 U君とは入社して最初のプロジェクトで一緒に仕事をした。彼は外注スタッフとしてプロジェクトに参加していて、その時点で大学を卒業したばかりの全くの未経験者。私も入社した年にがんになって長期入院での治療が終わって仕事に復帰して初めてのプロジェクトでお互い全くの未経験で職場で一

ストレスと生きるつらさについて。

物心ついた時から今まで、一番ストレスがなかったのはいつだろうか。 人によって違うだろうし、そんなのわからない、という人のほうが多いかもしれないけれど、私は断言できる時期がある。 私にとって人生で一番ストレスがなかった時期。 それは25歳だった2002年の12月から2003年の5月までの半年間だ。 その期間、私は真冬の北国のがんセンターに入院して、大きな手術のあと、闘病を続けていた。顔面神経ごと顔の結構な部分を除去して左手の神経を移植するような大きな手術をして、麻痺した顔

死の美しさと腐敗臭について

「しにたい気持ちが消えるまで」 活字中毒の私が2022年に読んだ本の中で一番グッときた本だ。 noteでもその時の気持ちを書いた。 死にたい気持ち。 死へ導かれるような気持ち、死を渇望するような希死念慮。 死にたい気持ちとは、いったいなんだろうか。 一方で別の死にたい気持ちもある。2022年に読んだnoteで一番グッときた記事。 生きやすさを求めることと、安楽死を求める気持ち。 がんサバイバーの一人として、私はこの気持ちに同意を表明したい。 私は、中学校の七夕の

自分の命を託すひと_がんサバイバーの経験則

全身麻酔での手術。私は2回経験したけれど、経験すると死ぬってこういう感じなんだなと思う。 眠りとは全く違う感覚。麻酔をされると意識が完全に遮断され、次の瞬間には目が覚めて、その時にはすべてが終わっている。 最初は顔に出来た腫瘍を検査するために摘出する手術。部分麻酔でもできるけれど、顔面神経が近いので万一を考えてと言うことで全身麻酔での手術となった。悪性腫瘍だったので、2回目の手術でその顔面神経も含めてごっそりとられてしまったけれど。 その時摘出した腫瘍を手術の後に見せて

あたりまえの人生_25歳でがんになった私へ

コロナで帰れなかった実家に3年ぶりに帰省して、1週間くらいゆっくりして東京の単身赴任先に戻ってから調子が良くない。 体調が具体的に悪いわけではない。久しぶりに家族とゆっくりしてそのまま単身赴任先に戻ったからホームシックになったのかなとも思ったけれど、それも違うようだ。 私は自分でも不思議なくらいメンタル的な起伏が少なくて、いつも落ち込みもせず、ハイテンションにもならないのだけれど、実家から戻ってからはいつもより気分が落ちこんでいる感じ。普段落ち込まないから、気持ちが落ち込

息子の運命と戦うカッコいい母

家にはテレビがないので、テレビを見るのは帰省した時だけ。夕方リビングで両親とテレビを見ていたらドラマの再放送がはじまった。 ドクターX〜外科医・大門未知子〜。 米倉涼子が主演なのと 「わたし、失敗しないので」 というセリフは有名で知っていたけれど初めて見た。 コミカルなシーンとシリアスなシーンがテンポよく展開し、手術や治療のシーンはリアリティを感じられる(実際にリアルかどうかは別)のと、一話完結で見やすいのが人気の理由なんだろうなと思ってみていた。 やっていたのは小児が

Life is a farewell tour _人生はさよならツアーだ。

2002年12月。 北海道から大阪に就職したばかりの25歳の私は、天王寺にある大学病院に入院していた。 体調に違和感を感じて職場の近くで診察を受け、検査入院することに。 差額ベッド代も払っていないのに最初から見晴らしのいい高層階の個室に入院させられ数週間。その時点でなにかおかしいと気が付くべきだった。 主治医から告げられた検査結果は悪性腫瘍。悪性度が非常に高い上に、同じ症例を世界中検索しても全く見当たらず、予後は不明。全身に転移している可能性があるため、これから全身の検

きっと大丈夫_25歳のがん告知

2002年の11月。天王寺。あべのハルカスの気配も全くない21世紀初頭のミナミの街は、北国のド田舎からやってきた若者にとっては異次元の世界だった。駅前に血だまりができていても、誰もそれに気にも留めない。そんな猥雑で暴力的な街だった。そんな街に場違いな佇まいで立つ高層ビルの大学病院。そこの高層階の個室に25歳の私は入院していた。なぜかネットの張ってあるバルコニー。飛び降り防止ということなのだろうか。 あごに硬いしこりができて検査入院と摘出手術。生まれて初めての全身麻酔は、眠り