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20240401 祭と復興 能登のあばれ祭準備のニュースを見て

 正月の能登半島地震から三か月がたち,まだまだ復興への長い道のりは続きますが,その中で例年7月に行われている八坂神社の「あばれ祭」の準備が行われたことをニュース動画で知りました。
 能登の各地で行われる「キリコ祭り」の1つとして能登町で行われるのが「あばれ祭」になるようです。
 https://www.youtube.com/watch?v=HtxOBg6lvTg

  ニュースが報道されたのが2024年3月30日で,「けさ9時」とのキャプションがあったので鳥居や灯籠の撤去作業が行われたのがこの3月30日で,それまでは撤去などの作業はできていなかったのだと思われます。
 
 CiNiiで「祭 復興」で検索してみると419件も出てくるので「災害で被害を受けた地域の復興の表れとして祭をみる」という視点は今ではもう常識的な物となっていると思います。しかし,それは結構新しい考えたかなのではないかとも思っているので,この419件を過去から探って「どのあたりから復興と祭が密接な関係を持ちだしたのか?」を探ってみることにしました。
 
 基本的に初期は「廃れていた祭自体の復興」という研究はありますが,災害からの復興という関連についての記載があるものはあまりありません。
 
【書誌情報】
三木 英 1998-1999地域の復興と都市宗教の力-阪神大震災被災地における宗教の実証的研究.科研費

 上記の科研費の研究が「震災からの復興と宗教の関連」についての検討をしているようですが祭に関する記載はないようです。
 
【書誌情報】
岡元行雄 2000 – 2002 阪神・淡路大震災による北淡町の地域社会と住民生活の変容. 科研費

 北淡町の地区別の特徴をまとめると、室津地区は一番祭りに熱心な地区であり、祭りを即座に復活させ、神社の再建も工事に着手しており、祭りを語る住民の熱心さは群を抜いている。育波も室津に次いで熱心で、厄年の加も熱心におこなっている。斗ノ内、浅野南、水越は室津ほどではないが、町をあげて熱心に取り組んでいる。富島や野島は激震地であっただけに、祭りの復活が十分ではなかったし、祭りを語る住民の熱意はあまり伝わってこなかった。祭りを通しての地域のまとまりは弱くなっている。

 この研究では復興と祭の関係が指摘されていると思います。

 【書誌情報】
池田貴夫 2001 – 2002 北海道南西沖地震後の奥尻島における民俗事例の軌跡と文化再活性化に関する研究.科研費
https://cir.nii.ac.jp/crid/1040282256746620032
 
 次の科研費の研究でも,災害からの復興と祭の関係が明確に記載されています。

研究代表者は、2001年度〜02年度の2カ年を使用し、北海道南西沖地震後の奥尻島における民俗事例の軌跡と文化再活性化についての調査を進めてきた。奥尻島の中でも、特に大きな被害を受けた青苗言代主神社例祭、さらには奥尻3大祭りのうちの2つである賽の河原祭り、室津島祭り、そして震災後のネズミの大発生による災害予測の事例に焦点を当て、地震後の民俗事例の軌跡たどった。

 私の勝手なイメージでは東日本大震災の際に祭と復興の関係が大きく取り上げられたような気がしていたのですが,こうしてみると2000年前後に祭への注目が高まるきっかけがあったのかもしれません。

 しかし,論文ではなく科研費で出てくることが多いというのは,何かこの時期に祭と復興に関して文科省とか財務省あたりで注目する動きがあったのかなあなどとも。
 この手の,「~~の関連について最初に主張した人は?」とか「最初の研究はどれか?」等に関してはどのように探れば「これです」と言えるのかという方法論についての知識が無いのが残念無念ですが,おそらく民俗学や文化人類学や人文地理学などで答えが用意されていると思うのでまた継続して探ってみたいと思います。


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