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20240407 現代の花見に欠けているもの

 この週末に花見をされている人はいっぱいいるのでしょうね。私の場合、職場の桜が結構きれいでそれをみて満足してしまっているので、夙川や造幣局や京都や吉野やらにみにいきたいな~と思いつつも気力が出てこずに、今日もこうしてパソコンに向かってNOTEを書いている次第でいけませんね。
 まあでもさっとNOTEを書いて午後からは運動不足解消を兼ねて近場の桜を探しに行きますか…何かネタないかな…と思ってCiNiiで「花見」を調べると2000件ちょい。こんな大量のものから探す時間もないので「花見 心理」で調べると8件で、以下の論文が気になったので読んでみました。

【書誌情報】
阿部 一 2017 日本文化の母性的傾向の風土性. 東洋学園大学紀要, 25, 51 – 66.

 母性については心理学でいろいろ取り扱われていますが私は全然知らないので触ることはせず、花見についてのみみてみよう…と思いつつ本文を流し読みしていると、昔からの花見の概要についてふれているところがあったので以下引用します。

 歌は,「花が咲く」ことで作物の豊穣が確実に実現することを願ってうたわれた。そのための表現方法が,土地がそう「見える」とうたうことである。「見える」ということは,存在することである。そのため,春になるとみんなで小高い丘や山に登って里を見晴らし,豊穣が「見える」とうたう儀礼が行われたと考えられる。それが,民俗行事として残っている「春山入り」である。日本文学者の土橋 寬(1909~1998)は『古代歌謡と儀礼の研究』(1965 年)において,農村社会に生き続けてきた,春に山に入って予祝を行うという春山入りの民俗行事に着目して,古代日本の歌の起源について論じた。旧三,四月の山の花が咲く頃に,「花見」「山遊び」「山行き」などといって,酒や食べ物を持って山に登り一日を楽しく過ごすという習俗が,全国各地で見られた。その際に歌われた「花見歌」は,花見の行事で歌われることはなくなったが,盆踊歌や座敷歌として残存している。その基本的な形式は「高い山から……見れば」というものであった。春山入りの際に,春菜摘み,柴刈り,草刈りが行われる地方もあり,それが男女の出会う場となっていた例も見られた(42)。各地の「花見」「山遊び」「山行き」といった民俗行事を概観すると,春山入りは基本的に以下の要素から成ることが分かる。

⑴ 山に登って里を見晴らし,歌をうたう。
⑵ 植物を採取して調理するなどして,共食する。
⑶ 男女が歌を交わし合い,交際相手をみつける。

 現代では、公園などに植えられた桜を下から見上げることが多く、山などに登って広く見晴らすところは減ったような気がしますが、でもこの「見晴らす」心性自体は変わらないように思えます。また、山菜などを採って食べることも減りましたがお酒やお弁当持って桜の木の下などで食べるものまた一般的だと思います。
 しかし、「歌を歌う」という要素はほぼなくなっているように思えます。桜に関する歌は今でも山ほどつくられますが、それらはほとんど「春の別れ」や「新生活への応援」などを歌っているもので、「花見」について歌う歌もあっても冬に一緒にイルミネーション見たのとかわらないような「見る」行為しか歌われず、旧来の「花見歌」的なものはないように思われます。
 ちょっと前までは「花見で大宴会をする」という文化はあってそこにカラオケ設備を持ち込んで歌っていた人たちもいたかもしれませんが、今そういう文化はなくなっていると思います。ましてや、男女が和歌などを交し合うようなことは全くないと思います。

 まあでも桜を見ていると結構誌的な気分になるのはあるような気がするし、太宰府天満宮をはじめ「曲水の宴」などの行事を復活させているところも結構見聞きしますので、花見の際に短歌や俳句などを作って皆で楽しむような文化が復興してくれるとうれしいのにな~と思います。

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