見出し画像

20230609 ドキッ! 若者だけの祭集団

 昨日は祇園祭に関する論文を半分ほど読んで山笠と比較してNOTEを書きました。なので今日はその後半を読んで…と思ったのですが,「都市祭礼での戸建て住人とマンション住人の融合」という非常に興味のある題材であったのでまた時間のある時にじっくり読むことにし,今日は他の論文を探すことにしてみつけたのが以下の論文です。
 
小西恵美 (2014). 伝統行事を通した地域コミュニティの形成 : 諏訪御柱祭の一事例. 社会関係資本研究論集, 5, 113 – 127.

 この論文も御柱という非常に魅力的な祭について書いたものであり,じっくり読まないといけない内容の濃い物でしたが,「珍しい内容がすごく明快に書いている」ものでしたので,その一点に焦点をあてて紹介してみたいと思います。
 
 昨日,祇園祭も博多祇園山笠も「旧来からの,祭集団とほぼ同じ地域集団」が担いの中心であり,そのコミュニティに入ることへの障壁が存在することを書きました。祇園祭では先日イベントを拝見した鷹山が数百年レベルぶりで「復活」を果たしましたが,「完全な新規のコミュニティが参加」というものはないと思われます。しかし御柱では,旧来の地域をベースとしてはいるけれども,全く新しい関係性での団体が生まれ,しかもそれが「若者のみの団体」ということで非常に面白いなあと思いました。
 以下,引用だらけになってすみませんが代表的な記述をまとめて引用させていただきます。
 

 三友会は、前述のように新規住民を既存のコミュニティ・ネットワークに取り込むのではなく、今までにない関係性を作ったこともあり、地元でも大きな議論をまきおこしている。
 三友会は、単独の「村」を超え、北山・米沢・湖東ブロックの若者を結集した団体である。近年に見られる若者の御柱祭離れを不安視し、時勢に合った新しいやり方を提起し実践することでできるだけ多くの若者を参加させ、これら三つの地区の若者の結束力を高め、より良い曳行と建御柱を行うことを目的に組織された。
 
 三友会の設立背景には、こうした若者の祭り離れに加え、このブロック独特の問題がある。北山・米沢・湖東の三つの地区同士の仲の悪さである。これらの地区はいずれも元は新田であり、南大塩が豊平地区で絶対的な親村として地区内を強力に仕切っていたのとは異なり、ブロック内には慣習的に圧倒的な力というものが存在しない。また、通常は二つの地区で一つのブロックを作るのに対し、このブロックは例外的に三つの「村」が組み合わさっていることも、仲の悪さを助長することになった。
 
 三友会は三地区横断的な組織を組織し、既存住民であるか新規住民であるかの区別なく、多くの若者を集めることに成功した。活動が始まった頃は会員もわずかであったが、平成 16 年には 200 人、そして現在の会員数は約 440 人と急増しており、これは同ブロックの若者居住者 1,000 人のうち 4 割強にあたる。地理的範囲・構成員ともに従来の「村」の境界線を越えた新しい組織となった三友会は、会員のアイデンティティを高めるために様々な工夫をこらしている。まず、三友会独自の法被を作り、三友会としての活動の場では必ず着用することを義務づけた。これはすなわち、御柱祭において長年の伝統であった「村」や「部落」ごとの法被着用を禁止したことを意味する。さらに、平成 16 年の御柱祭までは三友会会員は全員共通の法被を着た上で、背中には「村」の名前を入れていたが、「村」名があると縄張り意識が生まれがちであるとの認識から、平成 22 年には村の名前を取り除き、三友会という文字に統一した法被を着ることになった。

 最後の法被のくだりなどを読むと,旧来の村や部落といったまとまりの否定の意志が明確であり,「若者だけの新しいまとまり」を明確に打ち出していることがすごいなあと思いました。
 そした動きに反発もあったようで,その後もしかしたらこの会はなくなっているかもしれない…どうなったのだろう?すごくその後が知りたい!何だったら見に行きたい!と思って検索してみると…。
 
 2022年に無事に大盛況を収められているようでした。

https://onbashira.mahal.jp/

 しかしまあ,御柱は七年に一度だから,この集団に興味を持って現地に見に行こうと思ったらあと6年待たねばならないのですか…なんとかそのころまでには祭心理学についてちゃんと研究を進めて何かしらの成果を出せていると良いのですが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?