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『自殺の容認』は正しいとも間違っているとも言えない(アニメ「バビロン」)

本日はアニメ「バビロン」の感想とそのテーマの1つにもなっている「自殺の容認」の是非っていう非常に難しいトピックに少しだけ触れようと思います。

★ネタバレがあります!ご注意ください!

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昨年から今年にかけて放映していたバビロンは面白いアニメでした。良いものに出会えたと思います。

内容はめちゃめちゃ心に嫌な形で残り、モヤモヤした気持ちにさせてきます。まるでミストやゴーン・ガールを見たときのような気持ちでしたね。

え、そんなものはご覧になりたくない?それでは第6話まで見てやめるのが得策ですね。

めちゃめちゃ盛り上がるのがそのあたりですが、その後を見続けてもきっと望んでいる結果は得られないでしょう。

是非まだ観ていない方はAmazonプライム等を通して確認していただきたいですね。

「自殺の容認」の是非。「自殺法」はアリなのか?

さてアニメの内容・中身の詳しい説明は他のアニメ好きたちに譲るとして私が触れたいのはアニメ内で出てくる「自殺法」の存在です。

この「自殺法」とは読んで字のごとく「自殺を国家が容認することを明文化」した法律のことです。

語弊を招くかもしれないのでここで注釈を挟むと、あくまで容認であって奨励とかは一切ないです。

自殺関与罪も描かれてませんが多分残ってます。

さてこの物語の前半は日本で高度な自治権を有する「新域」という特別地区で進んでいくのですが、そこでこの「自殺法」の法案が上がり議論が巻き起されるんですね。

主人公はそれに翻弄されるというわけです。

無粋ながら現実世界置き換えると、もっと他に議論すべき法律はあるだろうとは思いますよね笑

まぁ、センセーショナルなネーミングと主題はストーリー的にも視聴者の興味を引くという意味でもとても重要なんでしょうね。

この「自殺法」、主人公は「絶対に悪である」と主張していますが視聴者はどう思ったでしょうかね?

色々と意見が聞きたいところです。

現実世界ではどうか?「自殺の容認の是非」

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あまり大きな顔して書くトピックでもないですが、少しだけ調べたので書いてみます。

とかく世界は広いですね。日本には自殺に関わったら逮捕裁判刑罰の法律がありますが、自殺を手伝ってもOKな国もあるみたいです。世界は広い。

スイスもそんな国の一つで、中でももっとも有名なのが自殺幇助団体「ディグニタス」。

数百万円という多額の出費は必要ですが、その見返りに眠るように最期を遂げられるそうです。

なんだかブラックジャックに出てくるドクターキリコのみたいですね。しかもその「ディグニタス」で最期を迎えた人々はすでに1000人を超えているそうです。

そんな団体で興味深い統計が出たそうです(wikipedia参照)。

「自殺を願った人の20%が健康かつ不幸ではないという自覚がある(これの出典を今なんとなく探しているのだが見つからない)」

この話を聞いたときなんとなく「安らかな死」は富裕層にのみ許された贅沢品で高貴なものに見えました。

実際2020年現在はコロナで多くの人が突然の死に直面していたり、残された人も多くの後悔や未練を抱えている状況があるわけです。

このことから「選択できる死」は去る人も遺される人も幸せし得ることもあるということですね。必ずしも「悪」と断ずることはできないでしょう。

日常的にマイルドに「死にたい」と思っている人が考えてることを考える

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実のところ私も含めて多くの人がこの世から突然消えても世界なんて変わらないと思うんですね。

「それなら」って思う人がいてもおかしくはないと思います。

気がついたらこの世に生まれていて、生き続ける使命を負って、誰からも愛されず必要とされず、「自分の生きる理由だと思えるもの」が得られないなら、それはもはや生きていることになるんでしょうか?

死んでいると言っても過言ではない気がします。

一方で楽に自由に死を選べる、誰からも後ろ指刺されずこの世界からログアウトできる、だからこそ「かえって生きやすくなった」、なんてこともあるのではないでしょうか?

口悪く言えば、この世界で声高らかに「生きろ」と言ってくる人間はいつだって強者で、「死にたい」と口にする弱者を飼い慣らし、強者自身の承認欲求(誰かから必要とされてるという欲)を満たしている、そういう構図があるような気がするんですよね。

全く狂っているのはどっちなんだと言いたくもなります。

これらを考えることは「くっさしね」と罵倒されるのがオチでしょうか?


※以前別の「織田倫太郎アカウント(削除済)」で投稿した記事をリライトしております。

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