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「若いうちに遊んどけよ」の言葉が辛い。”遊ぶ”ってなんですか?

私は正直異性からモテないです。人並みに異性を好きになったり、逆に自分のことを好きになってほしいと思いはしますが、上手く行った試しは数える程度です。

そのせいもあってかよく周りの大人の方々から

「若いうちはたくさん遊んでおけ」「遊んでなさそう」「遊びは大事な経験」

のような言葉をかけられます。

この言葉をかけられる度に私は、キュッと胸を締め付けられるような気がしています。

なぜならその大人たちの口ぶりが、「遊ぶ」という行為は”20代の男女がするべきものであり、それができていない人間は落ちこぼれである”ということを暗に伝えたいかのように見えるからです。

またそういうとき私は逆に、「『遊び』って具体的にはどういうことをですか?」と聞き返します。すると大人たちは大抵言葉を濁すのです。

「ピュアだね」とか「可愛いね」とか言って。

そこで私は確信します。「ああ、やっぱりそうか。普通の若い男女は『異性を傷つけたり、逆に自分の弱さを見せたり、自分が傷ついたり』って行為はしなくてはならない。どうしてもそのことを伝えたいんだな」と。

この「遊び」という言葉は一体なんなのでしょうか?

私はこの言葉には含まれている意図が2つあると思っています

大人たちが言っている「遊び」の正体

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まず大人たちが漠然と使う「遊び」の正体は

「付き合いたくもない人間と付き合って都合の良いように扱って捨てる行為であり、振り向いてくれない想い人に必死にアピールして上手くいって嬉しくなってセックスをして別れるまでセットの行為でもあり、自分の心を洗濯機に放り込むようなこと」

なんだと思います。

これは多分間違ってないはずですし、遊びを推奨している人たちもこの考えをそのままの意味でまっすぐに伝えようとしていると思います。

でもこれ結構私にとっては辛いことです。これが普通なのかもしれないですけど私は辛いです。

だってこれって他人を傷つけたりする可能性がとても高いじゃないですか。そして何より自分が傷つく可能性も高いじゃないですか。

そしてこんなことを周りの人間は平気でしていますよね。これにも驚きです。

真面目な仕事ぶりが評価されている彼も、多くを見てきたと大声で話す酒席の女の子も、例に漏れずこんな話をしているのが驚きです。

でも「スゴイな、精神的に成長できるんだろうな」とも思います。辛かった経験はその後に確実に活きてきますもんね。

だから私は苦手ですけど、「遊ぶ」行為自体に有用性は少なからずあるとは思います。

「遊んでおけ」という言葉はマウンティングの一種でもある

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「遊んでおけ」という言葉を発する意図の2つ目は「マウンティング」です。

私はこの「遊んでおけ」という言葉に対峙したときにもう一つ湧いてくる感情があります。それは「劣等感」です。

要はバカにされている気がするのです。

まずこの言葉はいわゆる「遊んでいる奴」には言わないですよね。そこに明確な意図の2つ目が潜んでいると思います。

言葉は悪いですが、この言葉が横行している一番の理由は、

「恋愛弱者たちが右往左往している様を一種のエンタメとして消費するため」

ではないでしょうか?

「まだ若いんだし遊んだら?(せいぜい頑張れよ)」

つまりはこういうことです。

この記事を書いてる途中、なんだか惨めすぎて目から血が出てきました。

まとめ:そもそもこんな話をしれっとできる世の中に問題がある

「誰かを傷つけるような言葉は放ってはいけない・傷つけてはいけない」

これは小学生の道徳の時間で習いますよね。ですが狂ったこの社会の実情は「遊んだら?」を平然と容認しています。

この「遊び」を実践することでみんなが幸せな終わりを迎えることなどできないことを知りながらも推奨がされる世の中です。

早く全てが「個性」で許される世の中がおとずれて欲しいと思います。

とりあえずそれまでは適度に遊べるように努力していきたいと思います。

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