その日、私たちは天国に一番近いところにいた
「ここで死ねたら本望だ。」
冗談ではなくほんとうに、心からそう思った。そんなの、生まれて初めてだった。
こんなにも満たされる空間が地球上に存在したのかと。だとしたらここが、天国に一番近いところだ。今でも夢のように思っている。
空高くのぼる太陽と、風に乗る潮の香り。
ただよう、ヨットの群れ。
ボストンからバスで3時間ほど南下したところに位置するロードアイランド州ニューポート。
マリンスポーツを楽しむためにニューヨークのセレブたちが別荘を多く持つ街で、港に隣接するフォート・アダムス州立公園では毎年8月に「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」が開催される。
かつての要塞の面影を残す城壁が自然の反響板となり、野外のコンサートホールとしての間仕切りも担う。そのため、園内にある3,4つのステージで同時に熱い演奏が繰り広げられるが、音はそのエリアの中だけで返す、不思議な空間だ。
ボストンの街が起き出す前から太陽が高く登っている、夏休みの早朝。高速バスに乗り込み、ニューポートへ向かった。
長い道中、バスが故障するハプニングがありようやくたどり着いたそこは、絵に描いたような、さわやかな港町だった。
タイムスケジュールを確認する間もなく、会場へ入るなり聴いたのは "Conrad Herwig Latin Side of Horace Silver feat. guest Michel Camilo"。
(コンラッド・ハーウィッグ ラテンサイド オブ ホレス・シルバーフィーチャリングゲストミシェル・カミロ)
トロンボーン奏者、コンラッド・ハーウィグを中心として、ジャズ界のレジェンド(ハービーハンコックやウェインショーターなど)のラテンアレンジに取り組むプロジェクトだ。
この時の公演は、2014年に亡くなったジャズピアニスト、ホレス・シルバーの作品をラテンとして再構築したものだ。ラテン・ジャズを基調として世界的に活躍するピアニスト、ミシェル・カミロをゲストに迎えた。
実を言うと、この記事を書くために3年前までさかのぼってスケジュールを検索し、たったいま、あの時のバンド名を正式に知ったのだ。
当時名前を知っていたのはミシェル・カミロくらいで、彼の息もつかせぬ次々と溢れ出るフレーズに驚く。あれほど安定感がありしなやかなトロンボーンの演奏を聴いたのは初めてだった。彼の名前も知らなかった。
だが、あんぐりと口を開けて、目の前で起こっている出来事が本当に起こっているのか疑っていたのだけはよく覚えている。奇跡のような音楽がそこで繰り広げられており、どこの誰が演奏しているかなんて知りもせず、その大きな衝撃を受け止めるほかなかった。
そう、ビッグネームが演奏しているとかしていないとか関係なく、この天国では純粋に音楽を楽しむことが出来るのだ。
テントづくりになっているステージが3つあり、メインステージは写真のようにとても拓けている。
自前のベンチシートやピクニックシートを広げ、くったりと寝そべった身体に音のシャワーが降り注ぐ。まるで太陽の光を浴びるのと同じように。
肌を焼いているのか、音楽を聴いているのか、そこにただ寝ている人もいるし、木陰で本を読むのも自由だ。スナックをつまみながら会話を楽しむ家族も。
(※日本の野外フェスと違うのは、限られたエリアのみで飲酒することが出来る。ただ、フローズンのレモネード、熱い身体に染み渡って美味しいので、おすすめです。)
ニューポートジャズフェスティバルは1954年に始まった。歴史あるそのフェスティバルは、開始当初から豪華なミュージシャンのラインナップが話題だった。注目の実力派若手ミュージシャンからジャズ界の重鎮も出演し、ステージにかじりつくようにして聴く人もたくさんいる。
マイルス・デイビスやデューク・エリントンオーケストラの歴史的なライブレコーディングも残している。1960年には音楽に熱狂したファンが騒ぎを起こしたそうだが、気持ちも分からなくない。それだけジャズファンにはたまらないミュージシャンが出演し、熱演を繰り広げる。
私が訪れた2015年、ジャズピアニスト上原ひろみの人気をまざまざと目の当たりにした。
決して身内びいきでなく、彼女のステージだけ、彼女と、観客たちでさえも、まるで空気感が違った。
世界中でしのぎを削ったミュージシャンが8月はじめのニューポートに集まる。
天国にいちばん近い場所での音楽体験は、誰にとっても忘れられないものになるだろう。
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Newport Jazz Festival
ニューポートジャズ・フェスティバル
公式サイト
2018年のアーティストラインナップ
※2018年のラインナップから私のおすすめは、中日の8/4。
世界的に活躍するギタリスト、パットメセニーに若手ジャズクラリネット奏者の中でも注目のアナットコーエン。
トランペット奏者のロイハーグローブ。シンガーのホセジェームズにサックス奏者のグレースケリー。
彼らを1日のうちに全員聴けるなんてあり得るだろうか?
やはり、ニューポートジャズフェスティバルは、ジャズファンが夢描いた天国なのだと思う。
まつりに美味しいコーヒーをご馳走してくださいっ