きっかけは、タリーズコーヒーあざみ野店でした。
人生初めてのアルバイト
志望していた音楽大学の受験に落ち浪人することにした、高校を卒業した3月のこと。
一日中楽器を吹いているわけにもいかないし、リードやら海外から取り寄せる楽譜やらでお金がかかる。
練習は午後からにして、朝にできるアルバイトをしようと応募したのが、最寄り駅近くにあるタリーズコーヒーだった。
当時、特にコーヒーが好きだったわけでもなく、カフェバイトってなんかおしゃれだし、のような憧れはきっとみんな分かるでしょう?
それでも思い出してみると、甘く、けれども、高校生が日頃飲むには値段の高い、スターバックスやタリーズのきらきらとしたドリンクを、背伸びをしどきどきしながら買いに行ったあの日。店員のお姉さんがとても親切だったのが忘れられなかったのだ。
彼女は後に一緒に働くことになる、ベテランの大先輩だった。
いちばんの仕事
無事にアルバイトの面接も通り、週に4日、5日ほど朝7時から12時までタリーズで働いた。最寄り駅の近くと書いたが、駅からは徒歩10分程度、大型の本屋の隣にある。(流行りの本屋に併設されているカフェではなく、あくまで店は別々だった。)
通勤のサラリーマンがテイクアウトでコーヒーを買っていく、忙しい朝のコーヒーやさんというよりは、新聞を持ったおじさんが喫煙室でたばこを吸っていたり、裏にある劇団四季の稽古場に勤める大道具さんや照明さん、ときおりキャストさんが出勤前や休憩中に来たり。
近くに住んでいる人が歩いて駅へ行く途中に、駅ではなく(そう、駅にもう一店舗、タリーズコーヒーがあるのだ。)うちの店舗に寄って出勤してくれたり。
とにかく、朝のシフトの一番の仕事は、そんな常連さんたちのありとあらゆるオーダーを覚えること。
この人はマグカップ。テイクアウトで袋に入れる、。抹茶ラテをスキニーミルクで、温度は熱め。裏にタンブラーを預けてあるから、値引きは忘れないように。わんちゃん用のお水を後でテラス席へ持っていく。
そして、朝の挨拶をすること。おはようございます、行ってらっしゃい。いつもと変わらぬ、穏やかなあざみ野の朝をつくる。
そうしているうちに、今日は暑くなるみたいだね、とか昨日言ってたゴルフはどうでした?とかちょっとしたことを話すようになり、いつしか飲み友達になったお客さんもいるし、私のコンサートに足を運んでくれるようになった方もいる。そういえば、デートをした方もいたなぁ。
はじめのうちは他にも、レジの打ち方、ドリンクの作り方などマニュアル的なことも覚えなくてはならないので、とても大変だった。が、私はこの店舗のことがたちまち大好きになった。
店員としてお客さんをもてなすのが本来の姿だろうけれど、きっと私の方が、お客さんと話すのが楽しみでしょうがなかった。
フェロー(仲間)と働く
無事、志望大学に入学し、楽器の演奏や指導の仕事をいただくようになったので、タリーズコーヒーでのアルバイトは浪人時代のように頻繁には入れなかった。それに、大学3・4年生の頃は大学の近くに一人暮らしをしていたため、その頃は近くの飲食店でアルバイトをしていた。
それでもなぜか籍は置いてくれていたので、長い休みの間はタリーズで働いたし、大学を卒業してからもしばらくは音楽の仕事と並行して続けた。音楽の仕事が安定しなかったのではなく、コーヒーが好きだったからだ。胸を張ってそう言える。
気がついたら辞めるときには7年間も働いた、大ベテランになってしまっていた。
そんなに長く働いていると、卒業していく何人ものフェローを見送っている。フェローというのは仲間という意味で、タリーズ内ではアルバイト同士こう呼び合っている。その名の通り、たくさんの仲間ができたのもタリーズのおかげだ。
基本的に、コーヒーを作るエスプレッソマシンは一人で操る。が、休日の混雑時には二人で立ち、この二人がお店の司令塔となる。
コーヒーを次から次へと作り出し、周りにも目を配る。一緒に提供する食事は準備ができているか、資材の補充をどのタイミングでするのか、客席はどの程度空いているのか。
この連携がうまく取れて、お店もうまく回るとスポーツで試合に勝った時のようなアドレナリンが出る。あうんの呼吸で、連携プレーが取れるように相手の動きを汲み取る。そうしているうちにだんだんと相手のことがわかるようになるのだ。
特に仲良くしていた同年代の彼らとは今でも仲間(フェロー)だ。今でも年に一度は飲みに行くし、海外旅行へ一緒にでかけたり、結婚式に呼んでくれる子もいる。
会う時は、「じゃぁ何時頃に、とりあえずタリーズで」がお決まり。
(これはみんなで旅行へ行く前の写真。コーヒーを買ってから、お出かけしたなぁ。帰りもタリーズに帰ってくるのだ。)
現在の音楽活動の原点
こうしたたくさんの思い出の中でも、忘れられないのは全5回の店内ライブ。
きっかけは東日本大震災。電力使用削減のため計画停電、何か出来ないかと、有線で流れる音楽ではなく生演奏を楽しんでもらい、タリーズコーヒーで募ってた赤い羽根募金を促すチャリティコンサートを開くことに。
第3回目からは、募金が終了していたので、チャリティコンサートではなく、カフェの中に音楽があることを楽しんでもらう目的に。
第5回目は、あざみ野店開店10周年を記念して。
アルバイト仲間にいた声優さんと、絵本作家を目指す主婦さんと。地元で活動している私たち木管三重奏Trio bouquet「おんがくとおはなし」という、朗読と音楽を楽しむコンサートを企画。
こう振り返ってみると「コンサートをつくること」「カフェでのコンサート」が好きなのはここが原点だ。大好きなお客さんたちが喜んで下さってる姿を見られて嬉しかった、大切な思い出。
コーヒーの魅力にどんどんのめり込んでいく
言わずもがな、私がこんなにコーヒーを好きになったのは、タリーズコーヒーのおかげだ。
タリーズコーヒーにはコーヒーアドバイザーという資格がある。入った当時のマネージャーは厳しい人だったので、否応なく資格試験を受けさせられた。
どんな風に実がなって、精製されて、生産者たちがどれだけの手間と愛情をかけて、育ててきたのか。コーヒーのストーリーを知るのはとても楽しかった。ただ苦いとだけ思っていたのに、産地によって味の傾向が変わるのも興味深かった。
私がアルバイトを始めた当時のタリーズコーヒージャパンはちょうど10周年を迎えようとしていて、松田公太さんがまだ社長だった。
シンプルなコーヒーのメニューに、まだ馴染みのなかったフルーツ「アサイー」のドリンク。アメリカから仕入れたアイスクリーム。自分で言うのもなんだが、真面目な性格なので、松田公太さん著「すべては一杯のコーヒーから」もきっちりと読み、そのコーヒーにかける情熱に感動したものだ。
伊藤園傘下に入った現在はかなり様変わりしてしまっているのが残念だが、それでもコーヒーへのこだわりは変わらず、小さな農園と直接契約したり、国内に大きな焙煎工場を作ったのは、大企業だからこそできることだ。
実際にコーヒーの味わいにびっくりしたのは、その名前も忘れられない、「ジューシーブレンド」を飲んだときのこと。
ジューシーって?コーヒーなのに?と思っていたのだが、…ジューシーだった。ジューシーブレンド以外の名前をつけるには難しいほどに。
それからコーヒーが好きと公言するまでに時間はかからなかった。時間があれば様々なコーヒー屋さんに足を運び、店員さんに話を聞く。使いこなせもしないのに、抽出器具も集め始めた。
コーヒーアドバイザーの資格を取得し、コーヒースクールの講師を務めることになり、さらに深くコーヒーの魅力にのめりこんだ。抽出の技術も磨きたかったし、さらに奥深く勉強をしたかった。
ついに、辞めることにしたのが4年前。タリーズで得られることは全て得たからだ。が、あざみ野店が好きでしょうがなかったから、辞めるまで1年ほどは悩んでいた。自分でも笑ってしまうほどにずいぶん長く働いていた。7年と9ヶ月。
それでもコーヒーに携わり、技術を磨き、勉強をしたかったのでその後は都内のコーヒーショップで働くことにした。
さようなら、ありがとう。
今の私をほとんど作っているのはここだと言っても過言ではない、タリーズコーヒーあざみ野店。本日、2019年1月14日に閉店する。
一緒に働いていたフェローや、お世話になったマネージャーがまだ働いており、ときどき遊びに行っていたので、辞めた後もそこまで寂しくはなかった。でも、まさか、なくなってしまうなんて。
まだ実感が湧かないのだが、これからお別れをしてきます。フェローもみんな来るみたい。
私の人生を変えるきっかけは、タリーズコーヒーあざみ野店でした。
さようなら、ありがとう。
まつりに美味しいコーヒーをご馳走してくださいっ