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中園孔二 個展『すべての面がこっちを向いている』をみる

 ANB tokyoにて開催されている個展。YO-KINGさんのレヴューで知り、足を運んだ。

中園孔二は1989年神奈川生まれ。2015年、25歳という若さで夭逝するまでに、絵画を中心に彫刻、インスタレーションも含め700点以上にわたる作品を制作しています。生前、東京オペラシティアートギャラリーグループ展「絵画の在りか」に出品、逝去後も、埼玉県立近代美術館でのグループ展(2016年)のほか、パリのポンピドーセンター・メス(2017年)や、モスクワビエンナーレ(2017年)、アイルランド近代美術館(2019年)などの展覧会に参加。2018年には横須賀美術館にて個展「中園孔二展 外縁−見てみたかった景色」が開催され、同時に求龍堂より作品集も刊行。大きな話題となりました。作品は神奈川県立近代美術館、高松市美術館、東京都現代美術館に所蔵されています。
(「中園孔二 個展『すべての面がこっちを向いている』」ANB tokyo より引用)

 ANB tokyoはビル一棟まるごとギャラリーになっている建物である。この個展では、そのうち3階、4階の2フロアが使われていた。

 まず、3階に。

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 こぢんまりとした展示スペースに、色合い、はじめに足を踏み入れた時は、ただ、うまくのみこめないでいた...それぞれの絵、がこちらになにを語るのか?そこにたしかに「ことば」があるはずなのにそれをうまく翻訳できない。なにかあるはずなのにつかめない。とりあえずは、いちど、その色合いを焼き付けて次の階へと向かった。

 4階は照明が落とされており、先ほどまでとは雰囲気が変化する。スケッチブックや、メモが置かれ、奥では中園孔ニ氏のインタビュー映像が流れていた。
 スケッチをみたとたん、さきほどまでの疑問と困惑......がみるみるかたちをかえていく。そうだったのだ、そういうことなのだ。

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 インタビューでは、彼にとって「絵を描く」ということは外縁を掴むことなぞる動作であると語られる(あくまで、私個人の意訳になるが)。そうして中心をみつめていく営みなのではないかと思う。彼が行っていたのは私たちが考えるような「ジャンル」や「伝えたいこと」に囚われたものではなかったのだ。


 かたまりはじめていたからだがほぐされるような感覚。映像をみつめながら、数々のスケッチに目を奪われながら、彼にひきこまれ、そして同時に惹かれていった。

 もういちど、さきほどまでいたフロアにもどる。ひとつひとつの絵が、繋がって、ひとつのなにかをつくりあげていく。はじめにみえていた景色とは驚くほど異なっていた......わたしはいまこの作者とともに、作者のなかで、中心にあるなにかをとらえようとしている......いやもうしらないあいだに、もっとはてしないものにとらえられているのかも、しれなかった。

 「切実な遊び」という言葉が、唐突にうかぶ。描かれる人物たちはゲームやミニアニメに出てきそうなポップな、目、をしている。描かれる風景もコミカルだと言えるだろう。だがひとつひとつの線には、色には、「遊び」と一言で言い切れないものが横たわっている。中園氏は25歳という若さでこの世を去っている。だが、そうは思えない。確実に生きているのだ。描くことで生きるということ。

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 ぐるりと一周、まわってまた一枚目の絵をみる。はっとする。異なるものがみえてくるのである。全く違う絵がみえてくる。一周まわって、もう一周して、もういちど、もういちどとくりかえしくりかえし。
 ここちよい対話、も、くりかえされる。私はどうやらここにずっといたいらしい。いてもいいかな、とだれかに願いながら身をその空間にただよわせていた、いつのまにか閉館時間になっていた。



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