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それをぬくな

 血液検査がこわい。針もこわいがそれよりも、からだから液体をぬかれる、ということがこわい。想像するだけでたえられないから、ここ10年ほど言い訳を重ね避けて避けてきた。しかし、いよいよ突きつけられる機会があり、大暴れしながら病院へ向かった。こればっかりは、ほめてほしい。

 ながれるもののなかから何か抽出されて、それが自分だと呼ばれると気がくるいそうになる。わたしはどこにもいなくて、ただよっているだけなのに、むりやり、「あるぞ!」と叫ばれているようで。
 じぶんから身体が「あるなあ」とおもうぶんには心地よい。辛いものが異常にすきなのはそれで、自分から食べてヒリヒリさせては、「したがある、のどもあるなあ」などと思う。もっと分かりやすくするなら、夏場に冷水を飲むのがきもちいい、みたいなことじゃないだろうか。つーっと食道をとおる感覚は、ここにあること、を思わせる。
 しかし、血液検査はもう、まったくそれらとは違う。血を抜かれて、うちにあるものが外へむかうよう、ちゅうちゅう吸われて、ほらみろここに液体が、おまえの体が、あるのだ!と見せつけられる、気持ちがわるい。

 うまく看護師と目もあわせられないまま、心配され、ベットに横になるよう言われ、腕に何かぐるぐる巻かれた。針の痛みは大丈夫、いま起こっていることをわからないように、しさえすれば......こんなのはただの移動だ、ここからそこへ液体が移動するだけだ、何の意味もないのだと、いいきかせながら上の空で看護師のことばをおうむ返しすることしかできない。思ってもみない声がでる、がたがたふるえる。

 ……暴れないようじぶんを押さえつけ、遠のく意識のなかで、思い出したのはすぐそばにある「医療廃棄物」の張り紙。そのゴミ箱には前の患者のものだろう、赤く染まった紙屑があり、部屋に入るなり目につくのだった。
 しかし、この描写は正確ではない。実際には「医療廃棄物」の前後、文字を挟むように、マークが描かれていたのだ。ハートマーク。ふつうのハートではない。
 ハートにある釣り目が、こちらを捉えていた。

 コムデギャルソンのロゴである。
 コムデギャルソン。なんかおしゃれな知人が着てる服、というイメージしかない、ギャルソン。ギャルソン???なんで????おまえは、医療の、なんなんだ。視界の端には血液の移動、頬は涙でベタベタになっていた、ギャルソンの謎は解けない、ただでさえ貧血ぎみの体が、さらに浮遊していく、ギャルソンはそこにいたままなのに、針を抜かれる痛み、おい、その血が入った容器に、鈴木とか、名前を、書くな!それはわたしじゃない、違う!見るな!

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 まだうまく話せないわたしに、大丈夫ですか、しばらくごゆっくり、と声をかけ、看護師は部屋を出ていく。息は荒く、天井すらうまく見えず、腕は圧迫されたまま。
 ギャルソン、おまえはそこにいて楽しいか?おれは、まったく、たのしくない!!!なんでギャルソン、おまえはそこにいて許されると思ってんだ、なんで2匹いるんだ、数え方「匹」であってんのか、よくよく調べると、ほかの張り紙のハートには目がない。
 いちばんおおきい文字で印字された「医療廃棄物」、それだけがギャルソン、ギャルソン、ふたりのギャルソンが、うつろなままのわたしを見ており、私の血がとおった管が、そこに捨てられていた。


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