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好きだった人の結婚式に行った話

3年ぶりに会ったその人は、最後に会った日と全く変わっていなかった。バージンロードを歩く姿はぎこちなく、緊張が伝わってきた。

私にその話が来たのは2年ほど前のことだ。
「りりちゃんの作風が好きだから、ウェディングフォトを撮って欲しい」

当時、私はアマチュアながらあちこち出向き、ポートレートからスナップまで色々と撮影していた。誰に評価されることもなかったが、カメラだけはずっと地道に続けていた。そんな折の依頼だった。

大好きな尊敬する先輩の大切な瞬間を任せてもらえたことが、すごく嬉しかった。
しかし、それからすぐにコロナ禍になり結婚式どころか移動すらままならなくなった。

その人は祭壇の前まで来ると振り返り、会場を見渡した。親族の席に座るお母さんと目があって照れたようにはにかんだその表情を、私は撮りそびれた。
彼が母想いなのも変わっていない。
お金(交通費支給)をいただいて撮影をするのは初めてだったし、そもそも結婚式に参列するのさえ初めてなのだ。
手が震えて、すべての写真がピンボケしているのではないかと不安に駆られる。とにかく良い写真を撮らねばと必死で、何も考える余裕はなかった。

披露宴では少し余裕が出たが、私は“新郎の女友達”なので新婦に嫌な思いをさせるのではないかと思い多く接しないように心がけ、カメラマンに徹していた。

しばらくすると新婦がお色直しで退場した。
新郎はひとり寂しく取り残され、ゲストに挨拶をしたりテーブルをまわったりしていた。
新郎がお母さまのもとへ向かい、ウェルカムボードを見ながら話しはじめた。その姿を撮るために私は席を立った。少し離れてそっとシャッターを切る。
詳しいことは分からないが、彼にはお父さまがいない。女手ひとつで息子を育てたお母さまと、ずっと家族を気遣ってきた新郎を1枚の写真におさめた。

突然、「あら、あなたがりりちゃん!インスタ見てるよ!なんだかアイドルに会った気分」とお母さまに声をかけられてびっくりした。
「たくさん写真撮ってくれてありがとうねえ」と笑うお母さまは明るくてとても素敵な人だった。
なんとなく3人でおしゃべりする雰囲気になり、ようやく新郎とも話すことができた。

「結局な、85mmの単焦点は悩みに悩んで買うんやめたんよ」
「ええっ!あんなに欲しいって言ってたのに!」
「あら、専門的なお話で母さんにはわからんわぁ」
飛行機、カメラ、バイク、話題も3年前から全く変わらない。
やさしくて、穏やかで、面白くて、物知りな先輩は、中身もなにひとつ変わっていなかった。
私が大好きだったあの頃のままの先輩だった。


先輩とは学生時代に趣味がきっかけで出会った。
その頃、私は成人すらしておらず、5つ年上の先輩からはきっとひどく子どもっぽく見えていただろうが、それでもひとりの女性として尊重してくれていた。
趣味の守備範囲がかなり被っていたこともあり、意気投合して頻繁に連絡を取り合うようになるのに時間はかからなかった。
いっときは、毎晩電話をして声を聞いていたくらいだ。住んでいるところは遠かったが、会いにきてくれたり、会いに行ったりしていた。

やさしくて、穏やかで、面白くて、物知りで、5つ歳上で余裕もある、オマケに背が高くてイケメン。
そんな人に恋をするなという方が無理だった。
それまでずっと、自分を傷つける恋をしていた私は、自分が幸せになるための恋を教えてもらった。

だがそれは「でもなあ〜僕、遠くに住んどる人とは無理やねん」というひと言であっけなく終わってしまう。

ある晩に、私は勢いで告白のようなものをしてしまった。あの日はなぜだか好きなタイプの話題になり、私が条件を列挙したら「それほぼ僕やん」と返ってきた。
先輩を思い浮かべながら挙げたのだから当然だ。心臓がどっどっと早くなり、頬が熱く、のぼせたみたいだった。
でも、勇気のない私は「そうだったとしたら……?」と濁すことしかできなかった。

しばらくして「資格の勉強で忙しい」と、電話を断られるようになった。
以前から一緒に行く約束をしていた航空祭に一縷の望みをかけて私は連絡を続け、新幹線に飛び乗った。

前日の夜に到着した。
晩ごはんに先輩はハンバーグを作ってくれていた。
得意料理なんだそう。文字通り人生で1番美味しいハンバーグだった。
その日は先輩の家に泊まった……。


翌日の航空祭は天気予報を裏切る大快晴だった。

昨日はやさしかったのに。
会話は弾むし、すごく楽しいのに。

ブルーインパルスを見上げながらそっと肩を寄せたら、その分すっと距離を取られた。
ふいに触れた手は即座に引かれた。
目が合うとさりげなく逸される。

ああ、やっぱり私はだめなんだ。
落胆と悲しさを悟られるまいと、
一緒に居られる嬉しさと楽しさにだけフォーカスして笑い転げた。
先輩のことを余計好きになって、余計脈なしだと実感した旅だった。

帰りは荷物が多く、先輩がエコバッグを貸してくれた。このエコバッグは次会った時に返すという約束をした。どんなに些細でも“次”の約束がないと離れられないほどに、私は先輩を好きになってしまっていた。

エコバッグを返さなきゃいけないから、また会える。
近くに住めば、彼女になれる。入社にあたっての配属希望は先輩の住む県に1番近いところを希望した。

しかし、エコバッグを返すことはとうとうなかった。
しばらくして、先輩が九州に住む彼女と海をまたいで300Kmの遠距離恋愛をはじめたことをインスタで知った。

なんだ、遠距離でもいいんじゃん。
やっぱりあれは私をさりげなく遠ざけるための方便だったんだ。
彼女の写真を載せるために新しいインスタのアカウントとか作っちゃって?
幸せそうにデートして、彼女を撮るためにポートレート向きのレンズなんて買ったりしちゃって。
大して可愛くないじゃん…………。
そっちから仲良くしてきて、電話する?って言って、毎日でもいいよって言って、会いに行ってもいい?って聞いたんじゃん。
好きにさせといて、期待させておいて、なんなの?
私はあのあとLINEで教えてくれたハンバーグの作り方をスクショして今でも忠実に再現してるよ。
泊まっていけば?って言ったのは先輩だったよね。

私は、先輩と過ごしたあの日を色褪せさせるために、新しい恋をした。


新婦が再入場してきた。
薄いピンクのドレスが似合う美しい奥さんが新郎に笑いかけ、先輩がやさしく微笑み返すのをファインダー越しに見た。
どこからどう見てもお似合いの、素敵な夫婦だった。
もっと近くに住んでいたら、もっと歳の差がなければ、あるいはあの時勇気を出せば……
今、先輩の微笑む視線の先は私だったという未来も可能性はゼロじゃなかったのではないか。
そんな思いがふとよぎった。
ああ、私は先輩が好きだったし今でも好きなんだ。

あの日さよならをした後、私はまた自分も相手も傷つける恋愛を繰り返した。
きっとあの時、先輩と踏み込んだ関係になっていたら……やっぱり自分も先輩も傷つけて別れる結果になっていたと思う。私は恋愛が上手じゃないことが最近わかってきた。

あの時、どうにもならなかったお陰で先輩とまた会うことができた。
落胆を悟らせなかったから、結婚式にゲスト兼カメラマンとして呼んでもらうことができた。
あれ以来ただの後輩に徹したから、一生に一度の大切な瞬間を任せてもらえた。
後で知ったことだったが新郎の友人は私を含め2人しか参列していなかった。

先輩のことが好きで、尊敬している。
想いは叶わなかったけれど、私はある意味で先輩の“特別”になることができた。

カメラマンとして、後輩として、人生でこれからも先輩とそのご家族に関わることができる。
そう考えると、やはりあの時に踏み込んでいなくてよかったと思える。

先輩と再会しておしゃべりして、美しくてやさしい奥さんや、陽気ですてきなお母さまとも仲良くなった今回の旅は、キラキラと輝いていて私にとってはきっと人生の宝物になるのだろう。
嫉妬も羨望も過去の気持ちも一緒に入れて、宝箱の蓋はそっと閉じよう。
今日の輝きを閉じ込めるために……。

そう決意してカメラを構えると、ファインダー越しに先輩と目があった。にかっと笑ったその顔に、私は最大限の祝福を込めてシャッターを下ろした。

おわり

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