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たとえ変わってしまっても、私は好きで居続ける
私が大好きな国の話です。
その国と出会ったのは物心ついた時。横浜中華街が最初の出会いでした。
煌びやかな街並みに心惹かれ、中華料理というものを初めて知りました。
それからも、中国のことはなんとなく好きだった。
大きな感情の変化が訪れたのは、高校を卒業した時。
私は13歳から18歳まで施設で教育虐待を受けていました。その後遺症で精神疾患を発症しました。
そのことにも気づかず、マレーシアへ単身留学をします。
そこで沢山の中国人(&ベトナム人)と仲良くなります。
日本で冷たく・荒んだ人間関係しか見ることが出来なかった私には、彼らの優しさが臓腑に沁みました。
しかし、マレーシア生活で精神疾患が重くなり、結局は帰国しました。
帰国後、再びお金を貯めて通信制大学に再入学します。
しかし、勉強も仕事もなかなか上手くいかない…悩んでいました。
そこで思い出したのは、かつて仲良くしてくれた中国人の同学。
もう一度彼らのような人達に逢いたい。そんな思いでSNSを始めました。
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そして、運命の出会いをします。
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私の彼氏、あかいくんと出会い、6年程の交際期間を経てようやく同棲に至りました。大学も卒業出来ました。
これ以降、私は中国と切っても切れない縁が出来ました。
まず、中国語の勉強を始めました。それは、私が中国に恩を返したかったから。私に優しくしてくれた人達にほんの少しのお礼をしたかった。それが始まりでした。
中国語を学び始め、その過程で中国ドラマを見始めました。そこで、初めての中国人の"推し"が出来ます。
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中国のことを考えて、中国語を勉強して、中国のドラマを見て…とても幸せな日々でした。
実は、学生時代に母と中国旅行にも行っていました。2010年代の頃です。
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私のとっての"中国"とは、「横浜中華街」「留学時代の友達」「彼氏」「2010年代の旅行先としての中国」でした。
もう一度中国に行きたかった。でも、それは叶わない願いでした。
新型コロナウイルスが流行りだし、流行が収まる頃には日中関係の悪化で*気軽に旅行しにくくなりました。
*これに関しては、ビザの関係です。人によって意見が違うと思いますが、私は家族の反対があるので行くのを断念しました。
そして、最近のニュースで、私は中国のことを理解していなかったのではと頭を悩ませました。
(私が知る中国ではもうないし、そもそもそれすらも幻想だったのかもしれない)
そんな思いが頭をかすめました。
そこで思い出したのは、初心に帰ることです。
私はどうして中国を好きになったのか?その原動力を探しに行きました。
そして、横浜中華街の歴史へと辿り着きました。
横浜中華街は150年の歴史ある都市であり、その間も日清戦争や日中戦争、現代においては食品汚染問題などを乗り越えてきたことが分かりました。
そう、戦争をしていても、この街は無くならなかった。
とても勇気づけられました。
そして、自分の心に尋ねてみました。
「私が中国語を学んでいるのは何故ですか?」
その答えは…
それは、私が中国に恩を返したかったから。私に優しくしてくれた人達にほんの少しのお礼をしたかった。それが始まりでした。
そう、私はただお礼がしたかった。貰ったものを返したかった。
日中関係のためとか、試験のためとか関係ない。私は自分の意志で中国語を学んで、中国と関わり続けている。
私は小さな人間です。
大きな国同士の関係は、どうにも出来ない。
でも、周りのこと-横浜中華街や日本で頑張る中国人と関わることは出来る。
それが、私が出した答えでした。
逃げかもしれない。思い出に浸ってるだけかもしれない。
それでも、私はこれからも中国を好きで居続ける。
それが私の人生だから。
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