夜空の月のように輝いた「柴五郎」

1902年。
その年に結ばれた日英同盟に世界は驚いた。

「なぜ日本なんかと?」

当時「栄光ある孤立」を保っていたイギリスが日本と同盟を結んだ。確かに、ロシアの南下政策に備えるため、という面もあったが、あのイギリスが非白人、アジアの日本と同盟とは一体なぜ。

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さて、営業職で「人柄」を売って利益を上げている人がいます。

「あなたからなら買いましょう」

その場合、ある会社のある製品は、その人とほぼイコール(もちろんよっぽど商品が悪かったダメですが)となっています。

その人への信頼こそが、会社の価値を上げています。

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「あなたがいるなら日本は同盟に足る国です」
イギリスにそう思わせた日本人が、柴五郎という人である。

時は中国が清の時代。
国内政府の統治力も弱く、治安維持もままならない中、義和団事件が勃発する。

「扶清滅洋」

これをスローガンに掲げ、西欧諸国に対する暴動は、当時中国にいた、外国人の多くの命を奪うことになった。

ちなみに、一般人は武器を持った暴徒には勝てない。当然である。

外国人居住区となっていた、北京城の周りには義和団事件で暴徒と化した人々が20万人。

城の中にはまもるべき命があって、婦人や子供もたくさんいる。

そして各国の軍人が集まり、多国籍軍が形成されるがその数は600名弱。

20万人 対 600人。

普通に考えたら結果は明白である。

「全員がこのまま命を奪われる」

リアルに想像してみるとすごさがわかる。例えば、自分の家の周りに武器を持った人が取り囲んでいる。鍵をかけるが、窓や壁が破られ、部屋の中に流れ込んでくる。そして刀を振り上げられ、、、。

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しかし、北京城は、2ヶ月に渡り守り抜かれた。

緊急時に、皆が自然とリーダーに推し、その絶体絶命の危機を凌ぎ切った。

その人物こそ柴五郎である。

その胆力、勇気、冷静さ、知力、能力。

誠実さ。

柴五郎に世界各国が称賛を送った。中でも、イギリス公使のマクドナルドは柴を近くで見続け「日本となら同盟を結べる」と、日英同盟をすすめていった。

本日の「松尾の日本史」はそんな柴五郎の話。

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