松尾さんの日常 2.銭湯にて

チャポンッ

…ぽこぽこぽこ…

銭湯の露天風呂で松尾さんは、今日何度目になるか分からない大きなため息をついた。

なんだか、落ち込むことの多い日だった。
楽しそうに連れ立って歩く人たちを、横目で眺めることしかできなかった。

…私は、前に進んでいるのだろうか。

その鬱々とした気持ちを晴らしたくて、松尾さんは今銭湯にいるのである。

植木の影のスピーカーから、音楽が聴こえていた。
「もっと他にやりようがあるんじゃないの…?」
テレビに音楽を付ける仕事をしている松尾さんは、お店のBGMにちょっと厳しい。
でも、こんなときでさえ批判してしまう自分のことが、少々嫌になってきていた。

…ザブンッ

それにしても、と松尾さんは思った。

休日の銭湯は人が多すぎる、特に露天風呂は。
ここは、都内でも有名な、ちょっとお洒落な銭湯だ。
なのに入場料は他の銭湯と変わらず460円だから、とても人気なのだ。

明らかに人ひとりも座れないであろう隙間に、
「すみませんねぇ」と笑顔で声をかけながら、
ぐいぐいと進み、場所を空けさせる人たち。

強い…!

松尾さんは息を呑んだ。
さすがだ。
皆、お気に入りの場所を陣取ろうと、あくまでも平和的に、攻防戦が繰り広げる。
銭湯なのに戦闘モードで来ないと、彼女らには到底勝てない。

…今の滑ったよね、と心の中で笑う松尾さん。

でも、と松尾さんはしみじみ思う。
銭湯は素敵だ。
ひとりだけど、孤独にはならない。
知らない人たちと温かいお湯に浸かっていると、自分の何もかもが許されるような気持ちになってくる。

…進むことが全てでもないしね。

松尾さんはもう一度、大きく息を吐いた。

ぽこぽこぽこ…

松尾さんが風呂場を出ると、待ち合い室ではたくさんの人がお風呂に入る順番待ちをしていた。
さすが人気店だ。

その中の一人のおじいさんが、テレビを観ていた。
画面の中では、有名なタレントさんたちが楽しげにおしゃべりを繰り広げていた。

その表情に、彼女は目を奪われた。
おじいさんはにこにこと、本当に楽しそうに、画面を観ていた。画面のなかに、なにか大きな宝物が隠されているかのように。
…こんなふうに、観ている人がいる。

ああ、このテレビをつくった人に見せてあげたい。

と、松尾さんは思った。