松尾さん嵐をかばう

「軽量感が否めない」
…嵐が好きな松尾さんは、ネット記事の見出しに少し、いらっとした。


先週月曜日に行われた「天皇陛下のご即位をお祝いする国民祭典」で嵐が歌を披露していた「Ray of Water」。
(演奏のURLはこちら。嵐の歌は8’11”から。→https://www.youtube.com/watch?v=HGSpZibJcYc)

仕事の合間にテレビから流れてきて目に入ってしまったのだが、少し緊張していながらも、音程も外していないし、いつもよりちゃんと歌えている。感動して最後まで見てしまった。
中学生の頃から嵐を見守っている松尾さんは、すっかり母の気分である。

だがそれと同時に、
「軽量感」という言葉に思わずうなずいてしまう自分がいたのもまた、事実であった。
「天皇陛下のご即位を…」という大きな行事には、合っていない気がした。

“やっぱり嵐じゃだめだったのか…?”
   “いやいやそんなことあるはずない。”

そう、嵐のせいなんかじゃない。他に理由があるはず。
その「軽量感」の理由を、松尾さんは考えてみることにした。



そもそも、皇室の行事にポップス歌手が出ることに違和感を感じていた松尾さんは、他にそんな例がないか検索した。

すると、天皇陛下の即位をお祝いする祭典で、
1999年にはXJAPAN のYOSHIKIが、
2009年にEXILEが、
ピアノや歌を披露している。

その二組も、軽量感はちょっとだけ…あった。
でも、嵐ほどではなかった。
なぜだろう。

…もう一度、嵐の曲を聴いたとき、松尾さんには1つの答えが見えた気がした。

その謎を解く鍵は、松尾さんが考案した

「ビートと大衆性の法則」

にあった。

説明しよう。
それは「ビートに影響を受けるほど、音楽の大衆性が増す(一般受けする)」というものだ。
一般的にポップスは、ビートが効いているので大衆性が増し、一般受けが良い。個人の複雑な感情の機敏を上手く表せるし、みんなで楽しめる。
オペラやバレエなどのクラシック音楽、つまり「敷居の高い」音楽は、ビートよりもメロディ優先で、音楽のきっかけが個人の感情にあっても、最終的には、「愛よ~」とか「神よ~」とかスケールが大きくなりがち。
ジャズは、その2つの中間にあるような気がするし、ファンクは、ポップスよりさらに、ビートを優先させている気がする。


話を戻してXJAPAN のYOSHIKIやEXILE、嵐の演奏を比べてみると、
前者二人のピアノ・歌にはビートは入っていないが、嵐の歌には、、、、なんということだ!
ドラムが!入っているのだ!
(もう一度URL→https://www.youtube.com/watch?v=Kbzc96RUPD8)
最初のワンフレーズこそオケ+嵐の歌のみだが、8’40”付近の相葉ちゃんが歌う部分から、
“ツッタッッツツ ツッタッッツツ”
というドラムが、控えめに入っている。
これは、、、大発見である。



あの「軽量感」は、嵐のせいでは、なかったのだ…。
この、ビートのせいだったのだ…。
松尾さんは安心した。
と同時に、ふと思った。
「軽量感」をネガティブな意味でとらえてしまうこと自体が、間違っていたかもしれない。
この祭典は、「嵐という超人気アーティスト」と「大衆性をプラスするビート」と、「嵐の後ろで一生懸命リズムを取っている子供たち」のトリプルコンボによって、あえて「親しみやすさ」つまり「軽量感」を狙っていたのだと。


「軽量感」を追い求めるのはノートパソコンだけじゃないんだな。
と、松尾さんは思った。(余計)