見出し画像

32 私たちのフィールド・オブ・ドリームス

8月11日、映画「フィールド・オブ・ドリームス」のロケ地となったアイオワ州ダイアーズビルの野球場で、レッズ対カブス戦が行われた。昨年に続き2度目の開催だ。球場はトウモロコシ畑の中のロケ現場に隣接して作られ、試合では映画さながらにトウモロコシ畑から選手が現れる。TVでこのニュースを見て、ほぼ30年ぶりにAmazon Prime Videoでこの映画を観なおした。
 
映画の中で登場人物が「長い年月、変わらなかったのは野球だけだ」と語る。「アメリカは爆進するスチーム・ローラーだ。すべてが崩れ、再建され、また崩れる。だが野球はその中で踏みこたえた。野球のグラウンドとゲームはこの国の歴史の一部だ。失われた善が再び甦る可能性を示してくれている」と。20代の頃には理解出来なかったその意味が、すんなりと理解出来た。これが30年の年月なのだろう。またそれは現在の自分自身の心境とオーバーラップしたからでもある。
 
2005年、私がまだ愛知県に住んでいた頃だ。あと数年で40歳を迎えるに当たって、私は大いに迷っていた。20代と30代は勢いだけで乗り切って来た。「このまま突っ走れるわけがない」それが迷いの原因だった。この先の40年を駆動させるエンジンが必要だった。そんな時に出会った書籍が島田恒氏の『NPOという生き方』だった。
2009年に奄美へ越し、本業であるICT事業のかたわら、2011年から本格的にNPOの活動を始めた。テーマは「共同体」「地域」「伝統文化」だ。折々に自分の望む方向へ導いてくれる人々と出会い、今に至っている。奄美へ来た事も、NPOという生き方も、前から決まっていたかのように私の気持ちにマッチした。
 
2022年6月15日の稿に「元々は『私たち』共同体のために作り出された政治が、往々にして『人それぞれ』を押し潰す圧力になる」と記した。映画「フィールド・オブ・ドリームス」で語られた「爆進するスチーム・ローラー」とはこの事だ。哲学者の内田樹は『街場の共同体論』のまえがきで次のように語っている。



今日本で進められているさまざまな「改革」は、あと何十年かすれば(できればあと何年かのうちにそうなればいいのですが)、「あんなことしなければよかった」と、みんながほぞを嚙むようなことばかりです。 〜中略〜 もちろん、50年後には、これらの失敗はちゃんと反省され、然るべき補正がなされていて、日本はまた順調に機能していると信じたいと思います。でも、日本人が自分たちの犯した失敗に気づくまでの間に、日本はどれだけのものを失うでしょう。美しく豊かな自然資源や、受け継がれてきた生活の知恵や伝統文化、日本人の心性に深く根づいた宗教性や感受性などの「見えざる資産」の多くは、一度失われてしまったら、再生することが困難なものです。目先の銭金やイデオロギー的な思い込みと引き替えに、この列島の住民たちが千年以上をかけて丁寧に作り上げてきた、これらの「見えざる資産」が破壊されてゆくことを、僕は深く惜しむのです。
【内田樹. 街場の共同体論 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.38-42). Kindle 版】
-----

「フィールド・オブ・ドリームス」で語られた、「再び甦り得る失われた善」とは内田氏が言うところの「住民たちが丁寧に作り上げてきた『見えざる資産』」の事だ。それはちょっとくらい学校で講習を受けて理解できるようなものではない。それらは地域に暮らす住民の生活の文脈として絶え間なく息づいている。終わりのない生活の文脈に目を凝らし、耳を傾けるとき、私たちのフィールド・オブ・ドリームスがそこに見えて来る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?