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27 涼しくなる話・・その3(4話)

1)父が元気な頃だから10年以上前のことである。私の両親が北見市内の南大通りを車で走っていた。信号の無い横断歩道を、足で地面を蹴って進む乗用玩具に乗った、3歳くらいの男の子が渡ろうとしているのが見えた。運転していた母は停止線で車を停めた。しかし一向に男の子が道を渡り切る様子がない。姿が見えないのだ。もしかしたら車の下にでも入ってしまったのかも知れないと、両親は車を降りて確かめた。渡り切るはずだった歩道にも、渡り始めた歩道にも、もちろん車の下にも男の子の姿はない。後ろに停車した車のドライバーに聞くと、確かに横断歩道を渡る男の子の姿を見たと言う。その後ろの何も知らないドライバーがクラクションを鳴らすので、両親は車を発進させ帰宅した。後から近隣の人にその話をしたところ、そこは少し前に男の子が事故に遭い亡くなった現場であるとの事だった。
 
2)10年前に父が亡くなってしばらくした頃、母が複雑な事情を抱えた人から頼られ、その人の家を訪れることになった。その人の家へ到着し、車を降りようとした時に携帯が鳴った。発信者は亡くなった父だった。母は父の携帯を解約せずにそのままにしていたのだった。父が何かを伝えようとしていると察し、母はそのまま帰宅した。父からはその後もう一度電話があったが、何か伝えたい事があるのだろうと察するだけで電話に出る事はなかった、と母は語った。
 
3)私が仙台の大学の夏休みに帰省した際に母から聞いた話だ。夜中に両親の寝室を誰かがノックするのだそうだ。「コンコン」と明らかに人が指の関節でドアを叩く音なのだと。母は、数年前に亡くなった近所の友人が来たのだと解釈している。
 
4)20年ほど前、岐阜県富加町の町営住宅でポルターガイスト騒動があり、テレビや週刊誌で大騒ぎになった。多くの霊能者が訪れたが歯が立たず、最終的に下ヨシ子氏が浄霊に成功したと言われている。江原啓之氏がそこを訪れた際、そこが戦国時代の古戦場であり当時の砦とオーバーラップするように町営住宅が建てられている事を霊視した。そこから川を挟んだ小山の頂上に神社があり、そこが一方の陣であったが川を堰き止められ枯渇した兵士が多く亡くなったのだと言う。
当時富加町からほど近い場所に住んでいた私は妻と共に、面白半分にその現場を見に行った。町営住宅の敷地にも入り、そこを見下ろす敵陣の小山の周囲をぐるりと一周した。その夜、帰宅するとずっしりと肩が重い。コンクリートの塊を載せられたみたいだった。私は仏教者なので仏壇に向かって必死に題目を唱えた。夜、床に就くと屋根の上を重いものが歩く音がする。集合住宅の8階だ。最上階で屋上はなく、つまり天井の上はかなり傾斜のある屋根だ。そこをズシッ、ズシッと人が歩く音がする。肩の重みと足音は10日ほど続いた後、消えた。
 
涼しくなったかな? まだあるけれど、今回はこのくらいにしておく。

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