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#インターステラーと宿習、そしてステップアップのための契機の話

仏教には「宿習(しゅくじゅう)」という言葉があって、意味するところは、人が過去に行った思考や言動が生命に蓄積し、その後の自分自身の生き方を左右する力になっているものを言う。現在の自分の思考や行動が、未来の自分自身を形作ってゆく。その作用が宿習であり、宿習を形成する生命の蓄積物を「業(ごう)」と呼ぶ。悪業を積めば見た目も行動も一層悪くなって行くし、善業を積めばその逆を行く。
 
ならば善悪の基準はどこにあるのかと言う話になるが、大きく言えば縁の総体である大我のエネルギーを削ぐ働きは悪であり、大我のエネルギーを増幅する働きが善という事になる。国や地域、友人間や家族間など局面的な状況では個別解であり、その判断はその集団の関係性の中にどれだけ生命に関するコンセンサスが醸成されているかによって左右される。
 
一般的に人は自分が作り上げた自分自身の境界に振り回されて生きてしまう。これを仏教では「六道輪廻(ろくどうりんね)」と呼ぶ。とめどもない六道の境界から抜け出すためには自分を取り巻く「自分自身」から離陸する「契機」を必要とする。クリストファー・ノーラン監督の映画『インターステラー』(2014年公開)ではそのあたりが良く描かれていた。「事象の地平面の外側から特異点を観測するのは絶対に不可能」であるとされていたが、主人公はブラックホールへ落下した人工知能ロボットにデータを収集させて特異点の観測に成功する。同時に主人公は、自身が未来を変えるためにこの空間にいる事に気づく。映画は物理法則を元に描かれているが、その内容は仏教哲学にほぼ通じている。映画で描かれる「特異点」とは、自分が自分自身の循環から踏み出して新たなステージへステップアップする「契機」そのものだ。
 
どうにもややこしい話になってしまったが、閉塞した状況を打破するためにはこれまでのマインドセットを打ち壊す勇気が必要だぞ、という話がしたかった。

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