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#そして夏が終る

所用があって先週末に東京へ行って来た。成田へ着いた時にスマホを見ると留守電が入っている。ロビーでコールバックを入れると、先々週に面接を受けた企業からであった。採用するとの事で、ただし就業は8月からになるが良いかとの確認だった。ともあれフリーランサー廃業後の立ち位置が出来たのだから良い知らせである事には変わりがない。
 
オンライン面接時に沖縄側の社長が語った、私に期待する内容は以下の通りだ。「奄美での雇用者全員と営業的に話をしてくれる事」「奄美側の業務の全体を把握してくれる事」つまりはマネジメントで、また、沖縄と奄美との間の窓口としての役割を果たして欲しいと言う。しかも私自身も現場で作業をこなしつつそれを行う。多少ハードな業務にはなるだろうが、採用の通知を承諾した事はその期待に応えることを承諾した事でもある。
 
会社の方針は「下請けの下請けはやらない」「良い人材を良い報酬で雇用する」ことだと社長は語った。面接時に社長が最後に語った事は「それなりのポジションを作ります」「松尾さんに黒糖焼酎だけでなく泡盛の味も覚えて欲しい」との事だった。この時に社長の腹は決まっていたのだろうが、他の役員との擦り合わせもあり成田で通知を受ける事になった。
 
さて、数年ぶりに東京へ行った話だが、バブル期に東京でOL生活を送りブイブイ言わせていたはずの妻が、エスカレーターで若い女性に突き飛ばされてよろめいた。電車では向いの席で男性同士が触れた触れないで無言のバトルをしていて、片方の降り際にもう片方が足払いをし、された側は中指を突き立てて去って行った。成田へ降り立ってから2時間ほどの間にそんな事がたて続けに起こった。島暮らしも長くなると、都会の病みっぷりがよく見えるようになる。自分も都会暮らしだった頃はあんなだったのかも知れない。島に来て感じる事は、自分は人として蘇生したという事だ。
 
話は飛ぶが、長年の懸案事項だった北海道の母の事だ。80を過ぎひとり暮らしであったが、このたび兄夫婦が愛知県から北見へ越すことを決めてくれた。ひと安心だ。この1ヶ月の間に気になっていた事がバタバタと片付いた。私には約12年周期でそんな時期が訪れる。檀一雄の『火宅の人』では放蕩生活の末に主人公が「夏は終わった」との言葉を繰り返す。言葉のみを借りて私の人生を語るならば、夏が終り豊穣の秋を待っている、そんな感慨だ。

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