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#ツールの進化と人の進化と

1980年代の半ば、ワープロ専用機が低価格化して一気にパーソナルワープロブームが広がった。当時19歳の学生だった私も、同人誌の原稿を書くために電気屋の店頭にあった、Canonのキヤノワードミニα10というのを10万円前後の価格で購入した。ボックス型で低価格機の中ではディスプレイが大きく、キーボードを本体に格納できるのが特徴だった。キャッチコピーは「行動派ワンボックス」で、印字品質は24ドットが主流だった当時、36ドットで綺麗に印字ができた。
 
大学のサークルで出していた同人誌の原稿を書く事が主な目的だったが、当然論文の作成もこれで行なった。小まめにフロッピーにデータを保存しなければすぐにメモリーが一杯になって動作が鈍くなった。何度も徹夜作業で文書作成を行なったせいで、キーボードと指が一体化した様な気持ちになり、キヤノワードミニα10は私の代え難い相棒になった。この時にブラインドタッチを習得したため、就職した際、誰もが敬遠したワープロでのデータ作成を任される事も多かった。職場のワープロがCanon製だったため、操作がわからない同僚に教える事も出来た。当時は営業職だったが、後にICT技術者になる萌芽はこの頃にはあったのかも知れない。
 
時は流れ、パソコンの普及によって2003年には日本国内でのワープロ専用機の製造は終了した。フロッピーディスクはCDやDVDに取って代わられ、それらもいつかクラウドへと移行した。以前は中高年の人たちが時代に付いて行くためにパソコン教室へ通っていたが、今ではパソコンも前世代のツールになりつつあり、スマホ・タブレットネイティブの若者たちが社会人になるためにパソコンを習うのだそうだ。
 
ともあれ、デジタルツールは便利だ。スマホで書類を撮影するとそのままAI - OCRされてテキスト検索が可能なPDFファイルとして保存ができる。20数年前、OCR機能の精度の低さにじれったい思いをしていた頃から見れば、隔世の感がある。今、OCRとタブレットとスタイラスペンの3点セットがあれば、もう紙のノートは持ち歩く必要が無い。読書もほぼ電子書籍で読む。昔の書籍も自炊して読みたいという新たな欲求も生まれ、最近ではブックスキャナーを検索することも多い。
 
デジタル化には種々問題点が指摘されるが、倫理や道徳は運用する人の中にある。ツールの進化によって露わになったのはデジタル化の問題点ではなく、人の問題点なのであった。現在は、人がツールの進化に付いて行く事が出来ていない時代でもある。

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