ネットワークビジネスとれいわ新選組の組織の共通点をどう超える?

ノートに書けと言われた

8月の大半、療養と称して依頼仕事を一切サボっていたせいで、9月に入る前ぐらいから仕事がどんどんと折り重なっていって、とんでもないことになりました。
ようやくちょっとずつ整理がついて楽になってきていますが、3回生と4回生のゼミを、この二年のズーム授業の経験から、引き続き論文執筆のグループごとに指導コマを一つずつとって見ることにしたので、時間割がほとんど埋まってしまって、やっぱり余裕がなくなっています。
何より医者にかかる時間が取りづらいのは困りますね。

そんな中、先日、原稿の一つの依頼主に私見を話したところ、原稿が遅れてもいいからこのノートに書けと言われた案件があるので、ありがたいと言うべきなのか何なのかよくわかりませんが、取り急ぎ書いておきます。

何のことかと言うと、れいわ新選組のプリティ宮城ちえさんのネットワークビジネスがらみの問題の件です。
今回のれい新本部の対応自体について、どうこう言うつもりはないです。道義的には、プリティさんには、被害者救済と同種事件の繰り返し阻止のために先頭に立ってもらうことを期待します。

客と従業員の区別があいまいなことが問題

私が問題と思ったのはこういうことです。
ネットワークビジネスの問題は、不労所得を目指すこととかそういう問題は、問題かもしれないけどあまりたいしたことないと思っています。
何よりも問題なのは、客と従業員の区別があいまいなために責任の所在がはっきりしないことにあると思っています。

ネットワークビジネスの勧誘員は、客とも従業員ともつかない性格なので、その言動が会社の利益のために誘導されるものであっても、従業員の言動ならば当然負うべき責任を会社が負わず、勧誘員の自己責任にされることが大いにあり得ます。(当然ですが、社会保険などの雇用責任を会社が負うこともありません。)
プリティさんがその実態どおり末端の従業員だったならば、今彼女を訴えているかたは、ただ会社だけを訴えていたでしょう。道義的にはどれだけ会社と闘ったかによると思いますが、ひどい仕事をさせられた経歴は、むしろ勲章的に働く場面もあると思います。
あるいは実態としては幹部社員である勧誘員もいるかもしれませんが、この場合は本当に幹部社員ならば会社の責任を共有するはずのところ、客扱いで責任を逃れてしまうかもしれません。

逆に会社側から見れば、勧誘員は客として誰でも受け入れるものである以上、いくら研修か何かをするとしても、その言動のすべてに責任を負えと言われても困るのも本音でしょう。

こうした業態は、最近流行の、形だけ自営業者に対する業務委託の体をとった実態としての非正規雇用と同じ問題を持っています。
それゆえこれらは、なくしていく方向で規制を強めるのが筋だと思います。

れいわ新選組の組織はよく似ている

この点についてよく認識していないように思えることが、れいわ新選組のこの問題への対応に感じた一番の問題点です。そしてこれには原因があるのではないかと感じています。

実はこうした組織の問題点は、れいわ新選組の現状の組織の問題点と重なると思っています。
それは、「党員」という存在がなく、党員とも支持者ともつかない人たちに、実質的に活動を支えてもらっているために、責任関係があいまいになっているということです。だから、個々の熱心なボランティアさんやネットで応援している人たちの言動に、党がどこまで責任を負うかはっきりしないという問題が出てきます。
実際、思想背景も活動背景もいろいろな人たちが自由に支持者になって活動しているわけですから、その言動にいちいち党が責任を負えないのは当然です。会社にとっての「客」のようなものです。でも、そこまで熱心な支持者ではない一般の人から見たら、会社にとっての「従業員」のように見えて、その言動から党の信頼性を測られるのも当然な現実があります。

共産党さんの場合は、「党員」という存在があります。ある程度の厳格さのある入党条件があって、しょっちゅう「赤旗」を読んで、学習会で党の方針を共有しています。党員は、その言動に党が責任を負うのはあきらかで、有権者に対する自分のふるまいが党の評判に直結することを自覚する日常生活をおくらなければならないことになります。この場合、いくら熱心でもただの支持者との違いはあきらかです。
私も若い頃には共産党の支持者の学生にはたいがい嫌な思いをさせられたものですが、別にそれを党の責任にするつもりはなかったです。上の方の党員には話がわかる人もいましたし。

創業期にはリーダー主導と表裏一体で必要な形態

れい新の組織の問題としては、よく「山本太郎の個人商店」というようなものがありますが、そのこと自体が問題なのではないと思っています。
既存政党の例にないイノベーティブな政治は、イノベーティブであればあるほどそのリスクをあえてかぶろうというような賛同者は少なくて当然ですので、立ち上げ期には必然的に、創業リーダーが大きなリスクに全責任を負って一人ですべてを決めることになります。このことと、「党員」といった深い責任を負わされるリスクなく、リーダーの呼びかけに共感した人々が分け隔てなく集まってきて発展することとは、表裏一体なのです。

今れい新は山本太郎ワンマン体制を改める試みをしようとしているように見えますが、この後者の構造を変えることなく、前者のリーダー主導だけ改めて合議的にすることは、決定を不透明にし、責任をあいまいにする危険があります。まして形だけ合議的にして実態がワンマンのままだったら、真の決定者がその責任を負わない最悪のことになります。
かといって、真に民主的にしようとすると、党へのコミットメントのない多様な方向性をまとめられず、空中分解するでしょう。

創業期がすぎて安定軌道に乗れば、いずれワンマン体制は改め、決定過程を透明にして党内民主主義を充実させるべきときはくると思いますが、それは、党の理念・政策とリスクと責任を共有する「党員」というような存在ができてのことだと思います。それは、熱心な常連の顧客も含む客と、商人の側の間に線を引く過程でもあります。
他の客に迷惑をかける客には毅然としつつも、どんな傾向を持った客にも幅広くオープンに分け隔てなく、ニコニコと友好的に接して、押し付けにならないように忍耐強く商品を広めていくことは、それだけますます商人の側にブレない強固な理念が必要です。

地方議員を作ろうという方向や、「れいわ政治塾」は、そういう合理性がある方針かなという気もしますので、期待しているところです。