アメリカ民主的社会主義者(DSA)の討論サイトに掲載された「陣営主義」批判記事和訳

「陣営主義」"campism" というのは、アメリカ民主的社会主義者(以下「DSA」:アレクサンドリア・オカシオコルテス議員が属していることで知られているアメリカの社会主義団体)の関係者の文献で、批判するための言葉としてよく出てくるものです。
世界をアメリカ率いる帝国主義陣営と、その敵の陣営とに分けて、アメリカ側を敵として、「敵の敵は味方」的に振る舞う考え方ということです。

例えば、小倉利丸さんのサイトで、TOSHIという人が訳しているDSAの人の香港問題の論考でも出てきています。

著者がDSAの人かどうかは知りませんが(アメリカの人ではある)、"Social Europe" に出た陣営主義についての記事について、濱口圭一郎先生が紹介しておられます。

以下でご紹介したいのは、著者の素性は全く知らないのですが、アメリカ民主的社会主義者(DSA)の討論サイト "Socialist Forum" に掲載されていた次の記事で、今の所私が見つけた中では最も詳しい陣営主義批判の文章です。
これは、おととし書かれたもので、当然ながらまだウクライナ戦争は起こっていない頃の文章ですが、今日読むと大変示唆的です。

日本の運動にとっても有益な文献になると思いますので下記に拙訳しました。英語に不自由な私の訳ですので、間違いがあったらご指摘ください。

訳のご紹介の前に若干私からコメントしておきたいと思います。

著者たちは、ソ連があるころからの陣営主義の歴史をたどって批判しています。たしかに、いい知識人がソ連や中国の共産党支配体制のおぞましい実態を見抜けなかったのは強く責められるべきです。
しかし、私が「レフト1.0」と呼んでいる当時の左翼の、普通の活動家については、正直そんなに責める気にはなりません。

ソ連や中国が、歴史の必然的に進む先を行く労働者の天国のように信じていた人たちが陣営主義になったとしても、プロレタリア国際主義の現れみたいなもので、主観的には間違いではなかったと思います。ナショナリズムよりましとも言えると思います。
当時の陣営主義左翼は、マルクス・レーニン主義勢力を弾圧する独裁国がアメリカと対立していても、シンパシーを感じることはなかったように記憶しています。
むしろ、マルクスの唯物史観に則って、普通に、アメリカなどの資本主義国よりも遅れた国として、批判的に見ていたはずだと思います。

ソ連や中国の支配体制の、非社会主義的、反労働者的実態が明らかになったならば、事実認識を誤り、そのような支配体制の味方をしたことを反省すればいいだけで、これまでと変わらず世界のどこでも労働者大衆の側につき、それを抑圧するものと闘うことを自らの基準していればいいのだと思います。
当然そうなれば、プーチン体制とも習近平体制とも金正恩体制ともマドゥーロ体制とも闘うということになります。

ところがここで、いや反労働者的・反人民的だったとしても、生産力発展の必然法則に則る体制という認識が幻想だったとしても、ともかくアメリカ帝国主義と対立する側についていた自分は正しかったのだと自己を正当化すると、悪しき陣営主義に陥るのだと思います。
そのときには、社会主義も労働者階級の利害も人権も民主主義も反米の前には二の次になり、日本の対米戦争を肯定する右翼と実質的違いはなくなります。なので、左翼的価値観の残り滓を共有しない下の世代に向かっては、反米右翼運動を煽る結果となるのだと思います。

このことによって最も懸念される事態は、以前も書いたとおり、日本企業の東南アジア進出による勢力圏化の動きが、将来アメリカとの対立を引き起こしたとき、日本帝国主義の促進をもたらすことです。
すでに、ミャンマーに関しては、欧米資本よりもはるかに現地に入り込んで軍事政権と結んで搾取を享受する日本資本主義は、欧米による軍事政権批判からは、相対的に距離をおいた独自姿勢を政府にとらせています。左翼が陣営主義に陥ると、こうした政府の動きをさらに後押ししかねないことになります。

あと、この文章へのコメントとしては、レーニン時代への評価がちょっと甘いと感じられます。マドゥーロ政権の打倒が選挙だけをオプションとして可能だろうかという疑問もあります。数量的な表現の正確性はチェックしていませんので、責任は負いかねます。
[ ]は訳者の注記。


陣営主義に反対する——国際労働者階級の連帯のために

民主的社会主義の国際主義は裏返しのナショナリズムである「敵の敵は味方」論を拒否しなければならない。

ジェーソン・シュールマン、ダン・ラ・ボッツ——2020年冬

社会主義者として、私たちは真に国際主義的な政治を目指さなければならない。しかもそれは、民主的な労働者階級の運動を世界中で応援ものでなければならない。私たちは、専制的な政府や支配階級との闘いの中にあるすべての国の運動を支持すると同時に、彼らからの私たちへの連帯を歓迎するものである。
アメリカの社会主義者として、私たちはアメリカの帝国主義に反対する。しかし国際主義者として、私たちは同様に、他の国々の権威主義と帝国主義に反対しなければならない。それは、これらの国々を支配する者が彼ら自身のことを何と呼んでいるかにかかわらずである。
すなわち、私たちは「陣営主義」に反対しなければならない。

陣営主義は、国際左翼やアメリカの左翼にながく見られる傾向である。そのアプローチによれば、世界政治を見る立場は、二つの敵対する地政学的陣営の間の対立を軸とするものとなる。一つは「帝国主義陣営」である。これは今日では、アメリカ、西欧、サウジアラビア、イスラエル(あるいは何らかのそのような組み合わせ)からなる。他方は、「反帝国主義陣営」である。これはロシア、中国、北朝鮮、シリア、イラン、ベネズエラ、キューバ等々の、先進国ではない国々である。反帝国主義陣営は、一般的にはすべての以前植民地だった国々と定義されていて、特に「南」側のすべての反帝国主義を公言する国々が入る。
このイデオロギーは、マルクス・レーニン主義を自称する政治潮流でよく見られてきたが、その言葉で自認することのない人たちもまた、このイデオロギーを受け入れている。陣営主義は今やDSAの一部にさえ存在する。この組織の政治的系譜から見ればいささか驚くべきことであるが。
私たちはここで陣営主義について簡単に説明し、批判しようと思うが、それによってDSAの中でこれに惹かれている人たちがこれを拒否するようになることを願っている。なぜならば、陣営主義は民主的社会主義の意味そのものを歪め、社会主義者をして、「一人を傷つける者は万人を傷つける」「万国の労働者団結せよ」という言葉から遠ざけ、「敵の敵は味方」という裏返しのナショナリズムに導くからである。

陣営主義のフレームワークにおいては、世界が争い合う地政学的ブロックに分割されていることこそが、他の諸問題をさておいて、世界で起こる出来事についての支配的な政治的説明を提供する。それは、「反帝国主義陣営」の諸国の内部における階級的性格について、ほとんど言及することはない。そしてそれらの国々の政治や経済の性質がどんなものかにかかわらず、これらの諸国に進歩的キャラクターをあてる。
陣営主義は「反帝国主義諸国」をほとんど批判することはない。そして、これらの国の労働者階級の間で興った民主主義や経済的社会的正義のための運動に対して、無視し、否定し、あるいは全面的に反対する傾向がある。

上記のような現代の陣営主義は、国際的な労働者階級の連帯よりも国家に対する連帯を強調する点で、マルクス主義やもっと広範な民主的社会主義の伝統に対して対立するものとなっている。この傾向は一般的に、明らかな資本主義国(例えばイランやシリア)を支援する場合もあれば、社会主義と自称する国(中国や北朝鮮のような)を支援する場合もあるが、いずれにせよ、これらの国々の政府は権威主義的か専制的である。
昔を振り返れば、カール・マルクスからユージン・デブスに至る、ローザ・ルクセンブルクからC.L.R.ジェームズに至る社会主義者たちは、常に、各国の労働者は、民主主義と社会正義を求める闘いの中にある他の国の労働者をサポートすべきことを強調してきた。
ところがそれがアメリカと地政学的に対立する諸国となるやいなや、陣営主義はしばしば民主主義的運動を支援することに反対する。明らかに労働者階級がリードする運動だとしても反対する。その理由は、そのような運動は進歩的とされる政府を危険にさらすものであって、こんな運動を支持すると、アメリカの社会主義者をして私たち自身の支配階級と同盟させることになるからだと言うのである。典型的例としては、陣営主義は中国国家やそれを支配する共産党に対するサポートをもたらす。たとえそれが高度に抑圧的な資本主義を促進し、労働者の自主的な組織や労働者の力に対して反対することになってもである。
このような見方はマルクス主義の政治的伝統を歪めるものである。マルクス主義は、ヒューマニズムや啓蒙思想や19世紀の労働運動に根差し、何をおいてもまず労働者階級の政治権力にかかわるものだからだ。

ロシア革命における陣営主義の起源

反資本主義・反帝国主義の陣営というものが、何がしかの意味をもってはっきりと現れた時期がある。ロシア革命は、世界中の何百万人もの労働者たちによって支持された。そのために、国際労働運動が、社会民主諸党の側にとどまるものと、新たに組織された共産党と共産主義インターナショナル(コミンテルン)に加わるものとに分裂することになった。それゆえ、1917年の革命のあと十年の間に、二つの陣営があると言える状態になった。一つは労働者の革命を防衛して社会主義を目指して闘う側。対するは世界中で反革命を推進した資本主義陣営である。

しかしながら、国際共産主義は1927年の後の期間におけるソ連の展開によって変質させられた。ヨセフ・スターリンに率いられた一派が、ソ連共産党とコミンテルンを、その世界中の加盟党ごと支配するようになった。スターリンは運動の内部で反革命を成し遂げ、この十年の間にかつてのツアー帝国からの変革をリードしてきたボルシェビキたちのほとんど全員を、投獄し、追放し、処刑した。
スターリンの支配のもとで、ソ連共産党はソビエトも労働組合もあらゆる他の機関をも、スターリンとその取り巻きに従属させた。彼は、国家権力を使ってソ連経済を改造した——全産業を国有化し、農業の集団化を強いることによって。その結果、党の全面的なコントロールのもとで官僚的に中央集権化された欠陥「計画」経済が作られた。 

1930年代までに、「共産主義」はマルクスやエンゲルスが使った言葉としての共産主義とは何の関係もないものになった。それが原理的なマルクス主義原則や民主的社会主義の原則からいかに隔たっているかを表現するために、左翼の批判的潮流は、それに対して「スターリニズム」のラベルを貼るようになった。
それでもなお、世界中の共産党は「社会主義陣営」への支持を止めようとしなかった。その影響によって、何百万人もの労働者たちが、ソ連を社会主義の母国とみなした。多くの人たちは、大不況に陥った中で、ソ連を資本主義システムに代わる肯定的な対案とみなした。そして、のちに「第三世界」と呼ばれるところにおいても、多くの人たちがそれを、発展と繁栄をもたらす非資本主義的な道にとってのモデルとみなした。

第二次世界大戦の準備段階を通じて、スターリンは当初ソ連を大英帝国やフランス帝国と同盟させた。次いで1939年のヒトラー・スターリン条約でナチスドイツと結んだ。そして最後にまたイギリス、フランス、アメリカと組んだ。結果的に、枢軸国との戦争の中で、ソ連は自らを進歩的で民主的な反ファシズム陣営の一員と描き出し、多くの人たちがそうみなした。
戦争が終わった時点で、ソ連は東ヨーロッパでナチスを打ち破り、これらの国々を占領して、社会主義陣営の概念は、ソ連だけでなくて、いまやワルシャワ条約の領域を形成した諸国を含むようになった。

ソ連に占領されて、東欧諸国はロシアモデルをモデルとして複製させられた。すなわち、共産党が支配し、全企業を国有化し、すべての政治的自由を抑圧した。労働者たちが、1953年に東ドイツで社会主義統一党の支配に対して立ち上がったとき、1956年にハンガリーで革命を起こしたとき、1960年代終わりから1980年代にかけて、ポーランドでストライキをしたとき、これらの国々の政府は、赤軍の助けのもと、彼らを圧しつぶした。にもかかわらず、多くの左翼は、進歩的な社会主義陣営が存在し、反動的な資本主義陣営が存在すると信じ続けた。
実際には、1930年代以来、二つの明らかに反動的な、いずれも労働者階級の政治権力に反対する陣営が存在していたのである。

中国が陣営主義を複雑にした

陣営主義の二元論は、毛沢東の中国とソ連との間の紛争、中ソ対立によって複雑化された。1949年の中国共産党の国民党に対する勝利は「社会主義」陣営を拡張した。しかし新しいねじれが加わった。中国共産党は、農民兵を率いて中国の諸都市を包囲し、占領することで勝利した。しかも、これはかつて植民地であった有色人人民による革命だった。依然として、ほとんどの側面でスターリンのソ連は毛沢東の中国にモデルを提供していた。全経済を所有し管理し、すべての政治的社会的組織をコントロールする一党国家というモデルである。毛の産業発展のプラン「大躍進」は、大量飢餓と何千万人もの死をもたらした。1930年代にスターリンが強制した農業集団化での弔鐘をも上回るものである。

冷戦時代には、「西側」も「東側」もいずれの社会システムにも反対するような独立した革命的社会主義組織は周辺化されてしまっていた。アメリカや他の資本主義の大国の巨大な残虐さ——1945年8月の日本への原爆投下から、ラテンアメリカ、中東、アフリカにおいて、アメリカや西欧がクーデタで果たした役割や軍事独裁への支援まで——は、しばしばアメリカや他の国の左翼を、共産主義陣営への支持や、少なくともそれを進歩的とみなすことへと導いた。彼ら自身の政府のしでかした悪行に戦慄し、共産主義側の残虐さを無視するか信じないかしていた左翼は、容易に陣営主義に陥った。

1962年に毛沢東はソ連と決裂した。ソ連の首相ニキタ・フルシチョフは「資本主義の道」を追求しており、キューバミサイル危機で帝国主義者にとらわれてしまったと言うのだ。その結果「社会主義」陣営が分裂した。
中国はいまや、大半が農民で有色人種である第三世界の抑圧された人民のリーダーとして自己を打ち出した。1960年代半ば、毛は彼がプロレタリア文化大革命と呼んだものを発動した。その実態は中国共産党内部の派閥闘争だったが、何十万人、おそらくは何百万人もの人々の生命が奪われた。しかしその時、西側のほとんどの人たちは中国についても、毛についても、中国の人たちの暮らしや生死についても実態を知らなかった。そして、毛が純粋な社会主義的民主主義に向けて中国を導いていると誤信していた。

アメリカがベトナムに対してジェノサイト的な戦争を遂行しているのを見て、反戦運動の中の多くの人たちが、中国は国際社会主義革命の前衛国だと信じた。アメリカでは、白人の人種差別主義と市民権運動の隆盛によって、多くの白人の若者がジム・クロウ法に反対し、ブラック・パワーを叫ぶことに身を投じた。有色の抑圧された人民へのシンパシーは、しばしば、北朝鮮の金日成や毛沢東やベトナム民族解放戦線への無批判の支持へとつながった。
マオイズムはアメリカ左翼で顕著なトレンドになり、陣営主義の新たな変種を生み出した。中国はいまや社会主義陣営のリーダーであり、第三世界のすべての反米運動(すべてが自動的に進歩的とみなされた)を支援しており、それに対してソ連は「社会帝国主義」なのだとみなされた。

ソ連に対する毛沢東の恐れと反感を考えれば、1972年に彼がリチャード・ニクソンと会い、両国が事実上の同盟国になるとの合意に達したのは驚くべきことではない。毛の死と鄧小平の台頭、そして中国への漸進的な資本主義の導入は、マオイズム(またはマルクス・レーニン・毛沢東思想)に危機をもたらし、それは結局「第一世界」における運動の崩壊に至った。しかし何年にもわたって、あいまいに定義された中国・第三世界論は生き残った。なぜならそれは、西側の資本主義、人種差別主義、帝国主義への唯一の対案とみなされたからである。

ソ連は崩壊しても陣営主義は残った

1991年のソ連崩壊とともにソ連共産党も崩壊した。それまでの共産党幹部やKGBの秘密警察官や大国営企業の経営者たちは、旧ソ連諸国で権力を掌握し、非国有化された国の資源を掴み取った。ロシアでは1991年から2000年まで選挙が行われ、そこでかつてのKGBのエージェントだったウラジミール・プーチンが首相になって、やがて大統領になった。続く20年の間、プーチンは、ロシアを反帝国主義の大国とみなすタイプの陣営主義の中心人物として現れた。

プーチンを何らかの意味でも反帝国主義者とみなすべきとするのはおかしなことである。1999年のロシアの選挙で彼は、長らくソ連に抑圧されてきたチェチェン・イングーシ人民の反乱を弾圧することを約束する、法と秩序のプラットフォームをかかげ、勝利したからである。ソ連崩壊とともに、ほとんどがムスリムのチェチェン・イングーシの人々は、独立を求めて戦った。多くの抑圧された人々と同様、政治運動と武装抵抗を組み合わせた戦いである。プーチンは選挙に勝つと、チェチェン・イングーシ共和国を度を超えた暴力的方法で粉砕した。
プーチンのリーダーシップのもとで、ロシアは、小さな抑圧されたイスラム共和国に対して、最も伝統的な帝国主義列強の方法で振る舞ったのだ。もし帝国主義的残虐さというものがあるならば、プーチンの血塗られたチェチェン弾圧こそがそれであった。

東欧とバルカンに広がった民主主義を求めるいわゆるカラー革命は、あるものは他のものよりも進歩的だったが、プーチンはそれを彼のプランに対する脅威と受け取った。これらの地域にツアー帝国やワルシャワ条約の時代同様のロシアの支配を再び押しつけるプランの。彼はロシアを、西欧の影響に抵抗できる偉大なユーラシア帝国にすることを熱望した。
彼は2007年のミュンヘン演説でアメリカとEUに対して、ロシアの文化と道徳に脅威を与える一極世界を作ろうとしていると声高に論難した。プーチンが主張するには、必要とされているのは西側に対する政治的哲学的防衛だというのである。

プーチンの新しいイデオロギーは極端に保守的である。それは、ナショナリズムについての帝政時代の概念の復古や、ロシア正教の復興に基づいている。その中心には「家族の価値」を立てている。かくしてプーチンのロシアは、インターネットやポルノや同性愛の諸悪と戦う国際的リーダーとなっている。だから、新しい反帝国主義陣営を率いる国は、反動的な権威主義国家なのである。
にもかかわらず、アメリカやヨーロッパでは、プーチンのロシアをアメリカや西欧の帝国主義に対するオルタナティブと見始めた左翼がいた。2014年の2月と3月にロシアがクリミアをウクライナから奪った時、プーチンを擁護する者もいた。これは第二次大戦以来ヨーロッパで初めての外国領土の帝国主義的併合だったのに。ロシアが独裁者バシル・アル・アサドの側に立ってシリア内戦に介入したときには、すべてのさまざまな反政府勢力を敵にして戦った。それがイスラム教派であれ民主派であれ、世俗派であれ、オマール・アジズ[アナキスト]の影響を受けた地方調整評議会のような左翼であれ。

左翼は陣営主義にどう対応するべきか

私たち左翼の立場の者は、受動的にであれ能動的にであれ、プーチンやアサドや、あるいはベネズエラのニコラス・マドゥーロの政府のような権威主義的政権といった、眉唾反帝国主義の人物たちを支持することは、左翼全体の信頼を落とすことだと認識しなければならない。私たちのモラルと政治的信頼性は、私たちの、民主主義や万国の労働運動や国際社会主義のための闘争へのコミットメントにかかっている。これらの原則の名において、私たちは世界中でアメリカ帝国主義と戦っているのである。もしこれらの原則を捨ててしまったならば、私たちは反帝国主義を掘り崩し、社会主義の理由自体を掘り崩すことになる。

いくつかのケースは他のものよりもっと単純である。民主的で国際的な社会主義者の中で、中国のことが「わかる」ことに問題がある者はいないだろう。中国は一党独裁で、他の政党は許されていない。そしてすべての社会運動と労働団体が党=国家によってコントロールされている。中国は本質的に資本主義の国になっている。産業は中国の国家によってだけでなく中国の軍隊や中国の資本家や外国の会社によって所有され、運営されており、すべては完全に世界の資本主義市場に組み入れられている。中国はチベットやウイグルといった民族的地域的少数者を抑圧し、ウイグルでは百万の人々を強制労働収容所に入れている。
中国の労働者たちは、独立した労働組合を組織、形成して、団体交渉やストライキをしようとしているが、政府によって弾圧されてきた。それは特にこの五年ほど、ますますひどくなっている。

中国はまた、古典的な資本主義発展の道に乗り出してもいる。外国に何十億ドルもの資金を投資するグローバルな経済帝国への道である。その投資先は、建設や採鉱からハイテクまで、広範なさまざまな産業に及ぶ。最近では、中国は南シナ海で空軍基地に使うために新しい島を建設して、周辺諸国を脅かしている。すべてのこのような列強の歴史同様、経済的拡張には軍国主義と帝国主義的野望が伴っている。習近平主席は、中国人民解放軍を2035年までに近代化し、2050年までに世界クラスの軍事強国になるように求めている。
社会主義者としては、私たちは中国政府の反対派になる以外ないだろう。そして中国政府と闘う中国の労働者階級や被抑圧者グループと同盟するのでなければならない。

マドゥーロとベネズエラのケースはもっと難しい。私たちのすべての者はアメリカの経済制裁に反対しなければならない。それは主にベネズエラの労働者階級や貧民を害するからである。私たちはまた、ベネズエラに対するいかなるアメリカ軍の介入にも反対しなければならない。同様に、アメリカがベネズエラの支配階級や右翼を焚き付けて、もっと信頼できるブルジョワ政府を押しつけようとしていることにも反対しなければならない。
しかし同時に、たとえ批判的にせよマドゥーロ政権を支持することは、政治的に無理なことである。マドゥーロは、選挙に負けた時、新しい立法機関を作り、彼の反対派を右も左も暴力的に弾圧し、ベネズエラ経済の崩壊と三百万人のベネズエラ人の隣国への大量移住をまねいた。だから私たちは、マドゥーロを選挙で取り除こうとしている、ベネズエラの労働者階級と左翼の人々を支持するべきである。

私たちは、そのような選挙において、労働者階級の民主的、社会主義的な諸党よりも、マドゥーロ与党の統一社会党やブルジョワ諸党が有利なことは認識している。それはここ[アメリカ]と同じである。しかしそうしなければ、ひきつづきベネズエラ政府は政治的に堕落し、ベネズエラ人民の境遇は、飢餓、医療問題、全般的窮乏の形をとって悪化していくだけである。

そしてDSAは、ベネズエラでもどこにでもいる社会主義者とつながりを作りはじめるべきである。特に中東や北アフリカで受け継がれている社会主義者たちと。中東北アフリカ社会主義者連合のようなグループとの連携は、私たちがアメリカによるイランとの戦争に反対する社会・国際主義的運動を真剣に建設しようとするならば、絶対に必須である。同連合は、トランプの帝国主義的野蛮に反対しているのだが、全く同じくらい、イランの労働者と学生がその神権的資本主義国家に対して反乱しているのをサポートしている。

社会主義者は、世界の「北側」の資本主義社会に適用するのと同じ批判基準を、すべてのその他の国々にも適応しなければならない。そして私たちは次のような同じ分析的問いをどのケースについても問わなければならない——誰が実際に国を支配しているのか。誰が決定を下しているのか。人民は自立した政党や労働組合を結成する権利を持っているか。純粋な言論、集会、出版の自由はあるか。人民は集会し、平和的に抗議する権利があるか。産業を誰が所有しているか。誰が管理しているか。労働者たちは、国家が握る組合ではなくて、自らが選ぶ労働組合を持っているか。労働者たちは集団交渉し、協定を話し合い、ストライキすることができるか。民族や人種の少数派が抑圧されていないか。女性や性的少数派の人たちが、男性や異性愛者と同じ権利と自由を持っているか。みなが、適切な住居や食事や衣服や医療や教育を得ているか。

ロシアやシリアや中国やイランや、さらにはベネズエラの政権のような政府の側に自らを置くようでは、私たちが世界の抑圧され搾取された人民を助けることは決してできない。アメリカ帝国主義と、言うところの反帝国主義諸国との、「二陣営」なるものを想定することに替えて、私たちは、我らの陣営があることを認識しなければならない。それこそ、諸権利と自由、政治的自由、基本的経済ニーズ、そしてさらには社会主義を求めて闘う世界の労働者の陣営である。