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分相応は素晴らしい。「アニー・ホール」理論の先にある自分

自分をメンバーにするクラブになんかはいりたくない

ウディ・アレンの「アニー・ホール」という映画のセリフに「僕をメンバーにするようなクラブには入りたくない」というものがあります。これは、そもそも誰かが語った言葉の引用として劇中で使われているものですが、多くの人が共通して抱く感情ではないかと思います。

自分の能力で手に入れられるものより、ちょっと上のものが欲しい。会社も、恋人も、自分と丁度いいレベルもものよりちょっと上の相手に受け入れられたい。

ちょっと上のところを目指したり、身を置くメリットは多々あります。モチベーションが高まり、向上心が沸きます。勤勉になり「その場所にふさわしい自分になろう」とするわけです。

また、人から見直されるという利点もあるでしょう。良い会社に入れば、それまでバカと言われていた息子ですら「この子は優秀な子だったんだ」と汚名を返上することができます。

ちょっと上が欲しいと思うことのデメリット

自分が思う、ちょっと上のものを欲しがるのは良いのですが、それが手に入らないことも多々起こります。そういった時に、人は苦しくなる。別に今自分に相応なものならきちんと手に入るのに、どうしてもちょっと上が欲しい。そしてそれに成功している人を妬んだりするようになります。

「分相応」という言葉がありますが、私たちはどうもそのことを忘れてしまいがちです。というより、分相応を見極めるのは難しい。自分をまずしっかりと把握し知ることが大切だからです。

また、分相応を知ったからと言って、分相応な対応をしてもらえるとも限りません。より下の扱いをされることもたくさんある。それは、社会で生きていくうえで避けて通れないちょっとした問題です。

欲しがりは悪いことなのか

英語では、相手に何でもかんでも求めすぎる恋人のことを「Needy」なんてちゃかしたりします。好きな人ができると、自分が望むもの全部その人から奪いたくなるものです。私はそうでした。それが満たされなければ、幸せになれないなんて本気で思っていました。それが若さ、ホルモンの力なのかもしれません。

コントロールできないのですから、欲しがることは悪いことではありません。でも時に、欲しがる自分を不幸にしてでも、相手を守らなければならないこともあります。相手が枯渇する前に、相手を思いやり自分が不幸になってでも相手を守るのです。恋愛は良いことばかりではない、ということです。

分相応を受け入れることは今を生きること

先を見ながら、より高みを目指す向上心は、人間を信じられない場所に連れて行ってくれるものです。でも先ばかり見ていると、いつの間にか今を生きることを忘れてしまう。私たちの生きるステージは今この瞬間であり、未来ではありません。未来は永遠に今の先にあるものです。

未来を思わなければ、到底今を乗り越えられないと言うほど現在に問題を抱えているのであれば、まずばそれに対処するべきです。今を生きることが、未来につながります。

誰かの批判をしたり、誰かに幸せにしてもらおうとひたすら願うことも、誰かの人生を生きているのです。自分が主役の人生という舞台。今を生きるために、まず分相応な状況の中に幸せを見つけてみると、突然気が楽になるなんてことも起こるかもしれません。


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