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matsunoya diary

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日々の雑文をクリップでまとめた感じのマガジンです。 🖇 matsunoya diary 🖇
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#エッセイ

【独り言】...
ロックは巨大市場であったけれど、クラシック音楽や観阿弥・世阿弥が確立したお能、あるいはロシアバレーのようなカテゴリと時間軸の異なる新興のもので、クイーンという音楽集団もまた、その、圧縮された時間軸の、不安定なエネルギーシフトの、その最中にいたという事だと思う。

【独り言】...
フレディ・マーキュリーは作品の中で視覚的なメタファーを多用する。初期の歌詞、アルバムの映像、後期に至るライブでの身体表現。聴衆とイデアを共有する工程として、彼は作品の中で視覚的なメタファーの重層を使う。それはクイーン作品での彼のシンパシーの示し方の特徴の一つ。

【独り言】...
クイーンの1975年から1985年までの疾走は、初夏の5月、木の葉や庭の夏草の若い緑が一斉に野放図に伸び始める季節に、カーオーディオでウェーベルンのラングザマーザッツをかけながら車を走らせている、その疾走感と似ている。やがて来る夏の灼熱の微かな予感を抱えながら。

【独り言】...
若いフレディ・マーキュリーの造形は、例えれば興福寺の阿修羅像と重なる。目の表情。人間を美しく忠実に再現した造形。彼はその造形から逸脱しない。サンスクリットのasura、アヴェスター語のahura、戦闘の神、ゾロアスター教のAhura Mazdā(最高神)。

【独り言】...
価値観の倒錯は、「面白いこと」じゃない。人権侵害に至るリスクがあるから、自然にみんなが幸福になれるリスク管理が可能な社会性へと収束するための価値観の共有が必要なのです。人を暴行し殺し、盗んだ金で生きおうせるとしたら、それは社会の成り立ちが失敗したという事です。

【独り言】...
外から訓練が必要な程度に応じ、気づきに至るための共通の価値観を持つ機会を計画的に段階的に定期的に取る必要がある。
今、気づきに至るのは、圧縮された高度な情報を子供の頃から特殊な訓練を受けなくても自分の時間の中で物にできたレベルの自己学習能力が高い人間に限られる。

【独り言】…
社会の仕組みの中で日常生活に必要な部分は産業によって自動化され、社会貢献に関わるコンピテンシーは生存要件と意識されない今の社会、生き残るには金さえあればいいという。人間の形状をした枠がないスライムのようなバケモノが露出して公共の場なのに人間に対して暴行が横行する。

【独り言】...
「人間賛歌」が好きなんだな。

【独り言】...
「アマデウス」にしても、音楽を主題にした映画って発見があるのがいい。映画「ボヘミアンラプソディー」をきっかけに、クイーンを見つけた。見つけてよかったなと思う。音の質が高いことが一番の魅力だけれど、課題の抽出と提示、解法へのアプローチが理系的でわかりやすい。

【独り言】...
目の表情からオープンマインドなコンピテンシーのある人と気づく。まあ、程度は違うけれど、誰でも気づくだろう。フレディは自分の外側に自己を持っている。彼のシンパシーは物理的身体的範囲の自己だけではなくてイデア的な自己に対して広がる。しかも単なる自己愛ではない。

【独り言】...
フレディ・マーキュリーは、例えれば三島由紀夫であり、たぶん、サン=テグジュペリであり、星の王子様であり、ピーターパンである。でも一番の特徴は、その目の表情に現れるオープンマインドなコンピテンシーだと思う。宮沢賢治と保坂嘉内のどっちかというと保坂嘉内なんだよね。

【独り言】突然、言いだしてる...
フレディ・マーキュリーって目に特徴ある。映像でだけだけど、
人間の目をしてる。
「久々にメディアで人間見た。」って気分になる。
普段、動物園の動画に行っちゃってるけど
人間がいるなら人間見たいんです。
彼はまさに、ホモサピエンス界のシャバーニ♡