見出し画像

ヘラ気違い

 釣りの会で研究会とつくのは、ヘラ鮒とカワハギだけである。 特にヘラ気違いはまことに傍から見ると常軌を逸している人が多い。
私は昭和40年前後、東武線の竹の塚に住んでいたころたまたま幼馴染でつり好きのYが草加松原団地に住んでいてヘラ研に入っているので一緒にやらないかと誘いを受けて、楽魚ヘラ研という会に入会した。毎月一回例会があり、近所にある釣堀とか古利根に出かけてヘラ釣りを楽しんでいた。この会の会長のSさんは年の頃四十二―三歳で角力取りのような大男で、ともかく暇さえあれば釣りをしている。元来は某大手鉄鋼の下請けに勤めているのだが、いくつかの特許権を持っているとかで仕事らしい仕事はせず正月から暮れまで一年中釣りをしているのである。オーバーに言えば江戸川から利根川の間にある川と言わず沼と言わず隅から隅まで釣り歩いていて、その合間に関東の主だったヘラの出る湖にはすべて釣りに行くという有様なのである。勿論ヘラだけでなく野川に多い鯉釣りもやるし、独協大学の横にある川で見かけた大鯉を釣り上げるのに一週間通い詰めてとうとう釣り上げたこともあった。
 楽魚というのは勿論Sの名前で自分の主宰しているこの会につけているのである。当時は今のようにマスコミが釣り大会を報道するようなこともなく、楽魚さんは知る人ぞ知る名物釣師であった。楽魚会長の話によると、ヘラ釣を始めると最初は浮木、次に竿、次に鈎という順序で自作したくなるものなのだそうである。往年の映画俳優で自分の家にヘラ竿を作る工房を建てた人がいたが、確かに調子のよい竿にはなかなかめぐり合わないものなのだ。何しろ自分で作った道具で魚を釣るというのは、やったことのない人には理解しがたいことかもしれないがなんとも言えず気分の良いものなのである。
孔雀の羽毛で作った感度の良い長浮木が水中にひきこまれて尺ベラが上がってくる時などはまこと本人は得意絶頂なのである。
 ところで、一人で釣っているぶんには良いのだが釣り会とか競技会となると様子が変わって来る。基本的にヘラ釣りはマッシュポテトをベースにいろいろな物を混ぜ合せて寄せ餌を作り、魚を寄せてから喰わせ餌で釣るという方法でやるのだが、バター、砂糖、蜂蜜から始まって各人秘策を練って餌作りをするのだ。
 ある時、楽魚会長が会員のKに相談を受けそれなら匂いの強烈なものを使ってみたらどうかと話した。Kは建具屋をやっているのだが仕事はカミさんと職人に任せきりで、文字どおり一年三百六十五日ヘラ釣りをやったこともあるという人で、後の話になるがカミさんは職人と駆け落ちしてしまったというオチがついた程のヘラ気違いである。
Kは楽魚会長から言われた匂いの強烈なもので魚の好みそうなものを色々考えていたとみえて、ある例会の朝、今日の餌は自信作だと言ってみんなに自慢するのであった。
皆が何だ何だと聞くのだがKはニヤニヤして教えようとはしない。釣り始めるとKが特別釣れているようすでもなかった。 
昼時にKは自慢の練り餌のべったりついた手でおにぎりをパクつきながら、実は色々考えた結果、庭に空き缶を埋めてその中に野糞を垂れ、適当に腐ってきたのにマッシュとフマツゲンを練り込んだのだというのであった。
皆も一度位は考えたこともあるが誰も実行しなかったこの餌作りを聞いて一同呆気にとられるやらその勇気に感心するやらでひとしきり餌談義に花が咲いたものだ。もっともKが手掴みですすめるおにぎりには誰も手を出さなかったが。インドネシヤやタイの田舎に行くと、豚小屋を養魚地の岸辺に建てるのが普通だし、河馬が水中で糞をすると沢山の魚が河馬の後に寄ってきて河馬の糞をパクついてるのだからKのやったことは
理にかなっているのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?