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北京の釣り

昭和五十六年に北京に赴任したころは未だ文革のの影響がそこここに残っていて誠に殺風景な街であった。住まいは北京飯店(日本で言うと帝国ホテル)の中楼の三階で、目の前に長安大街が見下ろせる良いところだったが、娯楽と言えばマージャンか酒を飲んで憂さ晴らしをする位しかないので春に氷が解けるのを待ちかねて釣りに出かけたものだ。
 内陸部ということで魚料理というのは鯉か草魚しかなく、これを養殖している所に行って釣らせてもらうのだ。一辺が四十メートル位の真四角な養魚場の一つを釣堀にして日中友好の釣堀という謳い文句で開業したところで一日の釣り料金は十元(当時の為替レートで千五百円)。魚は買取りで一斤(五百グラム)二元だった。
 香港ですら当時はロクな釣り道具がないのですべて日本から持参したものを使っていたが、ここ本土では尚更で中でも中国人が一番欲しがったのが釣り針である。まだ宝山製鉄所も出来ていない頃だから、中国製の鉄製品は著しく劣悪だったからである。なにしろ毛沢東の命令で溶鉱炉(と言っても煉瓦造りの野天の炉)に鍋釜をぶち込んで鉄を作っていた頃の話なのだ。
 竿は長い竿竹を使っている人が大部分で、中にチラホラ韓国製らしい投げ竿を持っている人が居る程度で、日本から持っていった安物のグラスロッドでも十分人目を惹くものであった。文革前だったら素晴らしい竹竿があったことと思い色々と探したが、結局職人そのものが居なくなってしまって造ることもできず、また古いものもどこを訪ねても見つけることが出来なかったのは誠に残念であった。
 ところでこの池には鯉・草魚のほかに比目魚(ピムユイ)という菱形で平べったい白銀色の魚が居て高級魚といわれていた。時々これが釣れると釣堀の親爺がすっ飛んで来て呉れ呉れとねだるのであった。また、時々スッポンが釣れて驚かされることもあった。
 しかしいずれにしても畑の真ん中に作った養魚池だからあたりに木陰もなく、夏の日盛りになると暑くてたまらないので、車に戻ってクーラーから氷を出して齧っていると何時の間にか子供が沢山たかってきて氷を珍しそうに見ている。一つ分けてやると、皆おお喜びで口にほおばって冷たい冷たいと大騒ぎである。お礼に麻雀をやるという。最初何のことか分からなかったが雀のことである。
 北京では雀のことを麻雀と呼んでいるのだ。文革の時代に雀と鼠と蝿は三悪と呼ばれ手居た頃、北京中の人が朝から爆竹を鳴らしたり、長い竿を振り回して雀がどこにもとまることができないようにし、飛び疲れた雀が地面に落ちてきたのを捕まえて食べてしまったそうだ。それ以来三年ほどは北京の街中に雀の姿が見えなくなってしまい、釣堀のある田舎でもまだ雀が珍しかった時のことだ。
 小雀をもらっても飼うのは大変なので貰わなかったが、子供にとっては宝物に等しい
大事なものを見ず知らずの日本人に呉れようという気持ちには大いに感謝した次第である。
 ところで釣り餌というのがまた変わっていてトウモロコシの粉を蒸かしたのを硬く練り上げて親指の先位の団子にして餌にするのだが、一時間位は溶けないで鈎先についているのである。こちらは日本から持参のマッシュポテトを柔らかく練って魚を寄せて釣るのだから全く問題にならない。目を丸くして見ているうちに我慢できずに近寄って来て、餌を手にとって匂いを嗅いだり、しきりに何か話しかけてくるがこっちにはさっぱりわからない。
 餌をわけてやるが使い方がよく分からないらしく、結局自分の固い餌で釣ることになる。多分しょっちゅう餌を付け替えるのが面倒なのであろう。
 釣堀と言っても養魚池で釣るのだから矢張り面白味に欠けるので、色々と訊きまわっているうちに北京では桂魚という魚が一番珍重されているということがわかった。時々宴会で桂魚が出てくることを思い出し、早速釣りに出かけたが人が釣るのをみただけで自分では釣ることはできなかった。この魚はブラックバスによく似ている魚でフィッシュイーターなので肉が締まっていて美味しいということなのだが日本人の味覚では美味とまではいかない。しかも釣れても二十センチどまりの型で一日やって一匹か二匹ということで面白くない。
 中国人の桂魚釣りは活きた小魚を餌にしたフカセ釣りだが、こちらは日本から持参した数少ないルアーを投げるだけなので自信もなく心許ないことおびただしい。すこしやってみたがさっぱりなのでこれは諦めた。
 次にやったのがタナゴである。西園寺公望公も良くここで釣りをしたという場所でタナゴ釣りをやってみたが、本命の餌(玉虫の幼虫)が入手できないのでペレット(魚粉)入りの練り餌をつかってみたが結構釣れる。
 この釣りでも、日本の繊細な仕掛け、つまり柔らかい竿、細くて丈夫な糸、感度の良い浮木、小さくて鋭い鈎で釣るから問題にならないくらいこちらが有利である。
 ということで、日本人が釣っていると周りに人だかりがしてこちらが恥ずかしいようである。洋の東西を問わず、人の釣りを横で見て、当たりを逃すと舌打をする者、うまく釣り上げると歓声をあげる者、そのうちに近くによって来て道具を色々と点検し、揚げ句はちっとも分からない言葉で話しかけてくる。落ち着いて釣れないから又釣堀に逃げ帰るということになる。
 いずれにしても、北京は真っ平らなところで、坂はないと言っても過言ではない。したがって川も殆どない。万里の長城のほうに行くと川があるが、なにしろ草木のない岩山ばかりだから雨が降ってもすぐ流れてしまい普段は水は流れていない。北京の名所のひとつのイワエンの池(石造りの軍艦があるので有名)から流れている川が川といえば言えるものだがここでは蛙をとるのが盛んで釣りをしている人影はなかった。蛙は勿論食用にするのである。もう一箇所北京空港の近くに結構川幅もある淀んだ流れがあるったがここは歩哨の兵隊さんが立っていて立ち入り禁止であった。
 そんなことで北京では面白い釣りはできないのは内陸部で平坦ということでやむを得ない。何しろ市民が一般に食べている魚ときたら、半分腐った太刀魚位だから仕様がない。この太刀魚は天津から運んでくるのだがなにしろ交通が不便なので途中で痛んでしまい、北京の市場で売られる頃には、腐臭も甚だしく、胴体の真ん中を藁しべで縛ってぶら下げて歩いている人が来ると十メートル位先からでも臭うという代物なのだ。北京の人はこれを油で揚げて食べるのである。
 時々、釣堀から持って帰った魚をホテルの自分の部屋の風呂場に入れて活かしておくとボーイが始終見にやってくる。持っていって良いと言うと、アッというまに片付けてしまう。なにしろ彼らの給料からすれば一か月分位する活きた魚を只でもらえるのだから、普段ののんびりした動作とは桁違いの素早さなのである。

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