「嫌い」と」「興味がない」どちらをよく使いますか?

久しぶりの投稿です。
これからは頻繁に書いていこうと思いましたのでよろしくお願いします。

皆さんには嫌いな人はいますか?

僕はかなりいます。しかし、絶対的な嫌いではなく、時と場合によって釣り合わない人のことを指します。嫌いと捉えておけば、嫌いだからなと逃げ道をつくることができるので嫌いと表現しています。

それでは、
興味がない人はいますか?

学生の頃などは、多くの人と出会いがあります。好きな人ができれば仲の良い人もできますし、先ほどの嫌いな人とも、できるかと思われます。では、それ意外の人はどのように捉えていますか?

僕は、興味のない人だと思っています。

何かを評価する際、「嫌い」というのと「興味がない」というのでは何が違うのでしょうか?

食べ物で考えると「興味がない」のは食わず嫌いであり、「嫌い」は素材の味は悪くはないが、味付けによっての変化が大きすぎて口に合わなくなるみたいなものだと思います。

ちょっとおかしいですかね?

人間関係で考えてみると、たくさんの人の個性というお店が並んでおり、そこをウィンドウショッピングしているとします。ここで、「嫌い」となる場合、その人のお店に入り、その人が纏う個性を見た上での自分と照らし合わせ、合う部分もあるが合わないのが多いと判断し、この店はいいかなと思い「嫌い」となるのではないかと思います。嫌いよりかは、合わないなですかね。似た感じのことをまた書きたいと思います。

「興味がない」となるのは、その人の店の中に入らず、そこにあるもともと知られているマネキンか着飾るその人の個性をチラ見しただけで判断される表現なのではないかと思われます。

この2つの違いとして、「嫌い」は、1度その人を見て聞いて実際に喋ってみたりするなど関わった上でのあなたなりの価値観で示した、その人に対する評価であると思います。一方で、「興味がない」は、少しの情報で決めつけているのではないかと思われます。

実は、どちらが良いかなんでいうのをいいたいのでありません。

ただ、誰かを評価する際に、「嫌い」と「興味がない」という言葉の違いがどのようなものなのかが知りたかったからです。

どうしてこの人を嫌いになるのだろう?
どうしてこの人に興味が無いんだろう?

このようなこと考えたことってありますか?

どうしてこの人を好きなのかな?

このことなら、恋をしていれば、男女の付き合いがあるのならば思うと考えられます。

この頃、誰かに何かしらの感情を抱いた時に、感情的になるのではなく一歩退いてなぜそう思うのかを考えるようになりました。

その上で、「嫌い」と「興味がない」と出てきたときのその旨が知りたくて考えた結果を示してみました。

最終的に何が言いたいかというと、僕は「嫌い」と言われた方が良い気がしますね。1度自分を見てくれて考えた上で評価してくれたことが嬉しく思います。ただ、合わないなって思われたんだと。そういう服ってありますよね。なんかそんな感じです。

ちぐはぐした文章でしたが最後まで読んでいただきありがとうございます。

僕としては、絶対的にこれだと決めつけるのではなく、僕はこういう考えかなっていう形を残したくて書いているつもりです。人の考えってすぐ変わりますからね。明日は違うかもしれません。

日頃考えている事をネタにしていきます。よろしくお願いします。

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