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2024年読書記録1月
「今年どんな本を読んだかな・・・」
一年の終わりに振り返ろうとしても、毎年年末にはすっかり忘れている。積読も読み終わった本も混ざり合って、本棚をはみ出した本は隙間という隙間に立て掛けられ、積まれている。混沌。せめて何を読んだのかだけでも記録していこうと、今年からInstagramで読書記録を始めました。今のところ感想文のようなものも一緒にあげているので、それを月ごとにnoteにまとめてみます。
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「人質の朗読会」小川洋子 中公文庫
この本を手に取ったのは年末の大型書店で、発売されたばかりの文庫コーナーが並ぶ棚にちょうど目線の高さで面陳されていたから。年始に読み始めると、物語は予想以上の悲惨な場面からはじまり狼狽えましたが、一転して、8人(と1人)の人生のささやかな一場面が静かに紡がれだします。
人の心にいつまでも残っている記憶は、案外他人から見ればなんでもない出来事で、たくさんの拍手や称賛とは無縁なことが多いもの。喜びですらないこともあります。そんな普通の人の普通の営みに心惹かれます。そういうことを淡々と描いた作品が好きだし、空想するのも好きです。ただ最近は、そんな営みが簡単に潰されてしまうところもたくさん見聞きします。それも、とても恐ろしく衝撃的で悲惨な形で。その対比に虚しくなります。
それでも、私たちにはささやかな営みとささやかな記憶が続いていきます。それは弱いけど強い。時に一瞬で壊されるが、誰にも奪えないものでもある。
8人+1人の朗読からは、なぜか不思議な幸福感を感じました。決して所謂「幸せ」な物語ではないのにもかかわらず。時間と記憶と複雑な感情を持って、そして言葉を持って、ただ生きていくことの愛しさみたいなものを、小さな記憶の断片に見た気がしたんだと思います。
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「なにごともなく、晴天。」吉田篤弘 中公文庫
昨年秋から吉田篤弘さんにハマりこれで5冊目。一気読みもいいところ。
この本は奈良の本屋「とほん」さんが、5冊入荷のつもりが55冊入荷しました、と投稿されているのを見て、ちょうど欲しかったので通販しました。新年に5がいっぱい並んで、なんだかいいなってのも。ゴジュウのゴエンみたいな…
昨日見たPERFECTDAYSとすこしだけ繋がるところあり、銭湯とか、馴染みの店の主人とか、あと不思議な浮遊感とか。日常みたいなんだけど夢みたいで、妙な非現実感とか。読み終えると爽やかな気持ち。なにごともなく、晴天。というより、いろいろあっても、晴天。
PERFECT DAYS、見る前は「なんてことのない日常の愛しさ」という映画なのかと思っていたのに、全然なんてことなくない。あんな風に清潔に「PERFECT」に暮らすことなんてまるで夢。むしろ平山の夢の雑然さの方が現実的。現実は山のような雑然としたことが起こるし舞い込む。
見ている時も、見終わった後も、本当に不思議なあわいに居るような気持ちになった。あれは夢なのか?どちらにしても映像は美しく、音楽も好きだし、役所広司はチャーミングだった。毎朝、平山が目覚めるシーンが特に好きだった。
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「不完全な司書」青木海青子 晶文社
奈良県東吉野村で人文系私設図書館ルチャ・リブロを営む青木海青子さんのエッセイ。自分自身も弱さや辛さを抱える当事者でありながら、同じく悩んだり立ち止まったりする人々に、司書の仕事や本を通して応えていく日々のこと。
読んでいて思い出して、今も胸がぎゅっとなることをひとつ書いておく。高校生くらいの頃だったか、通学の電車の中で小さな子どもを連れたお母さんが、子どもをひどく叱りつけているのを見た。そんなに混んでいない電車で目立っていた。あんな小さな子どもに、あんな大きな声で叱るなんて酷い!と私は思い、きっと冷たい目線も送っていたと思う。帰宅して母にそのことを話し、「ほんまやなぁ、ひどいなぁ。」と言ってくれるかと思っていたら、「うーん、まぁ、いろいろあるからなぁ。」と歯切れの悪い返事。なんでだろう?と引っかかった記憶がずっと残っていた。
それから10年も経たないうちに、その私の冷たい目線や言葉は、ブーメランのように自分に突き刺さるようになった。小さい子どもとのお出かけ、泣いたりじっとしていられない子どもに、冷たい目線が飛んでくる。親切そうな他人に言葉に、心を抉られたこともあった。「そんな小さな子を連れて満員の電車に乗らない方がいいですよ、冬はいろんな病気もありますし。」私だって乗りたくて乗ったわけじゃない。
私が学生だった頃に見たお母さん。その叱りつける声を、より厳しく、より強いものにしていたのは、紛れなく私だったと今は分かる。知らず知らず自分が加害性を持っていることに、もっと注意深くありたかった。あの時に見たお母さんに、ごめんね、大変だよねって言いたいけど、そんなことは叶わない。
本のことから話が逸れてしまいました。不完全だから出来ること、どうしても社会と相容れないから寄り添えることがあって、それは私にとっては最も大切な仕事だと思う。
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