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わたし


 12月30日は私の生まれた日であり、母が私を産んでくれた日であります。
今日は母の出産記念日なんです。
 プチな自慢だけれど、タイガー・ウッズと同じ誕生日。
 タイガー・ウッズを初めて生で見たのは、コロナ流行の前年に開催された、ZOZOチャンピオンシップ(習志野)に招待されたときでした。
生ウッズ!
輝くウッズ!
そりゃあ、もう、背中がぞわぞわしましたね。

 私達たち夫婦は、最初のホールのドライバーショットを観たあとに最終ホールのギャラリー席に座って、錚々たるプロゴルファー達が来るのを待ちました。

 石川遼が18番ホールに来ると、私は「りょうく~ん❣」と声援を送り、
タイガー・ウッズには「タイガーぁぁぁ‼️」と手を振って叫びました。
松山英樹が来た時、私の中では松山英樹は「松山!」だったので「まつやま~」と呼びすてにするには抵抗があり、拍手だけしました。
しかし、隣に座る同年代の女性は「ひできィ~」と、当たり前のように叫んだ。大きく手と腰を振り、体全体をくねらせて。

 えっ⁈ いいの? 
 「ひできィ~」でいいのか? 

 私の中では松山英樹を「ひでき」と呼ぶ選択肢はなかったのです。
「ひできィ~」と呼んでもかまわないんだ、と思った瞬間、密かに、何かから許された気がした。
 私も真似てみようと何度か「ひでき」とつぶやき、松山がパットを決めて去ってゆく前に言わねばならない。

そのときが迫って来た。私はこの時は今しかないと、思い切って「ひできィ~」と呼んでみた。なんと爽快、爽快!こういうのを爽快と言うのだな、と思った。
私の「ひできィ~」を聞いた夫は えっ⁈ と私の顔を一瞥しましたが、そんなことはどうでもいい。
私はちゃんと「ひできィ~」と声援を送れたのだから!嬉しかった。
隣の女性とうんうん頷いて、笑いあって握手をした。

 「ひできィ~」については、私が中学に上がる前くらいまでの出来事と似ている。
私は、自分のことを「わたし」と言えなかった。
学校では自分のことを「ともちゃん」と言い、家では「姉ちゃん」と言っていた。
幼心にさすがにこの先ずっと「ともちゃん」ではいけない、と薄々わかっていたけれど、どうしても「わ」が出ないんですね……

クラスメイトのあだ名もそう。本当はあだ名で呼びたいにもかかわらず、最初の文字が出ない。言えない。言うとぎこちなくなったり、声が萎んでいったりする。あだ名を言うときは練習しないといけない。結局、言えなかった人が大勢いる。

ある日、友達がスラスラ言う「わたし」を真似しようと思った。私が「わたし」と言わないことについて誰も責めたりはしないし、「わたし」と言う友達は「わたし」をちっとも意識してなくて、もしかすると私が「わたし」と言わないことにも気づいていないはず。「わたし」とは、それくらい自然なことだけれど、言えない私は「わたし」と言いたいのです。私は友達とおしゃべりするときに、試しに、意識して「わたし」と言い続けた。そのうちに「わたし」と発言することに抵抗が無くなったのです。わざわざ友達から「わたし」と言えるようになったね、なんてことも言われない。普通のことなのです。普通のことができたことに、私は安堵しました。

 もちろん「わたし」は現在も続いています。
そして、松山英樹をテレビで見るたびに「まつやま」ではなく「ひできィ~」と呼ぶようになりました。
「ひできィ~」は「わたし」なのです
(´∀`*)

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