ささやかな僕の夢 自慢の祖母がいた小さな町 上総興津(かずさおきつ)
26年前に上京しました。
以来、武蔵境⇒四谷三丁目⇒茗荷谷⇒
そしていま、足立区の町屋に住んでます。
東京は便利で楽しい街です。
松屋の定食に感動し、
てんやの揚げたてワンコイン天丼に驚き、
コージーコーナーも僕の田舎(安房小湊)にはなかった。
映画館がこんなに沢山あるんだと胸を躍らせました。
映画を観るには、外房線で1時間以上揺られ、
茂原(もばら)まで出なければならなかったのです。
東京には「美味い」と「便利」が沢山ありました。
でも僕も50近く。人生後半戦です。
自然が恋しくなりました。
母方の祖母が暮らした
上総興津(かずさおきつ)にあるゲストハウスで、
初めてスマホでこの文章を書いてます。
興津の海は静かでキレイです。
母は素晴らしい人でしたが、
祖母もまた人間性が美しい人でした。
興津は長年、祖母が暮らした町でした。
祖母はほとんど欲もなく、
古くて黒いラジオと図書館から借りてきた本が
あれば幸せという人でした。
うちの実家が借金まみれだった時に、
「返さなくていいから」と、400万円をポンとくれたそうです。
当時、母はとてもビックリしたそうで、
「年金をほとんど使わず、それをくれたんだろうね」と、
目を細めていました。
話がとても上手で、興津の借家に時々、
遊びに行った時、夜寝る前に、
布団の中で昔話をしてくれました。
図書館の本から得た断片を祖母が再構築して
つむいだオリジナルストーリーを弟とワクワクしながら聞きました。
おばあちゃんもいつか死んでしまう
人間、年を取ると、幼い頃の記憶がどんどん失われていきます。
ひとつひとつ頭の中からこぼれ落ちていきます。
その昔、両腕で抱えるほどあった「思い出たち」は、いまじゃお皿にように両手を重ね合わせればスッポリ収まるほど、ちんまりとしか残っていません。
そんな中で、いつまでも忘られない記憶があります。
それがおばあちゃんとの記憶です。
その日の夜も、おばあちゃんはぼくたち兄弟に昔話をしてくれました。
ワクワクするような話が終わり、おばあちゃんが寝息を立て始めます。
その時、不意にこんなこんな思いが胸に湧きました。
「いまは元気だけど、おばあちゃんもいつか死んでしまうんだ」
そう思ったら、まぶたがプクッと盛り上がり、涙が溢れました。
「それはイヤだ、絶対に死んでほしくない」
そう思ったところで詮ないことです。
人間はいつか必ず死ぬものです。
どんなにお金を積もうが、それに抗うことはできないのです。
気づいたら眠っていました。
この時の記憶だけは、50近くなった今でも鮮明に覚えています。
ぼくは、おばあちゃんが大好きでした。
兄弟仲良くね
今から20年ほど前、僕が弟を一方的に嫌っていた時、
ガンで余命いくばくもない病床で、
「兄弟仲良くね」と、ひねくれたバカな僕を優しく諭してくれました。
祖母はいつでも優しく正しかった。
いつしか、そんな祖母が暮らしたような
海が近くて小さな町で、晴耕雨読の生活を送る。
そんな日々を夢みるようになりました。
これが僕のささやかな夢です。
初めて文字にしました。
読んで頂き、ありがとうございます。
これでまた、栄養(本やマンガ)摂れます!