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心に留めておきたい、お箸のお話。

8月4日は「はし」の日。
元々は民俗学者の本田総一郎さんが箸を正しく持ち、箸文化を改めて見直そうという提案で制定されたそう。

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会社の企画室にあるお箸の本。書いてあるのはお箸のあれこれ。

東京・赤坂の日枝神社をはじめ、全国の箸に関係する地域で箸を供養する儀式が行われている。

私たちの会社のある小浜市でも、お箸を供養する神事が行われた。

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小浜市西津地区にある箸蔵神社。
小浜で箸供養が始まったのは50年以上前のことらしい。

毎日食事を共にしてくれたお箸に感謝の気持ちを込めて、供養する。
気持ちも新たに、新しいお箸とご飯をいただく。
箸の日という日付は語呂合わせだけれど、お箸のことを考える良いきっかけ。

お箸が日本にやってきたのは弥生時代末期。
農耕文化と一緒に渡ってきたとされている。
それまでは狩や漁をしたり、アワやヒエのような穀物を栽培して食べるものを手に入れ、手で食べていたそうだ。

お箸が農耕文化と一緒にやってきた、と書いたけれど
もともとは日本にやってきたばかりの頃は神様に食べ物を捧げるときに祭器(さいき)として使っていたと言われている。

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お箸が日本に伝来したばかりの頃はピンセットのような形をしていたそう。

神様というのは、田んぼの神様。稲の神様。人間が抗えない自然の大きな力。いのちの恵をくれる存在。

「お正月」や「桜のお花見」も、もともとは田んぼの神様を山から招いておもてなしする儀式だったそうだ。

目に見えることのない「田んぼの神様」を昔の人が精一杯おもてなしする景色を思い浮かべると、どれだけお米というものが人をひもじさから解放してくれるものだったんだろうと想像する。少し微笑ましくもあるのは私が食うに困らないからかな。

お箸は、その神様をご馳走でおもてなしするのに欠かせない道具。
神様と人をつなぐものとされる。
神様と一緒にお箸で食事をすることで、神様の力を人間に取り込めると考えていた。それを神人共食というそうだ。

今でも神人共食の文化は私たちの生活に馴染んでいる。
お正月や結婚式、お食い初めなどのハレの日で目にする両口箸(左右どちらの端も細いお箸)。
両方の端が細いのは、ひとつの端は人が、もう片方の端は神様がご飯を食べるためなんだそう。

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箸置きもただの飾りじゃないのだそう。
神様の道具をそのまま直置きするわけにはいけないからという心遣い。
なんて繊細な!
ちなみに画像のお箸と箸置きはこちら▶︎オンラインショップ

神様の力というと仰々しいけれど、要は自分たちが生きるためにいただく命の力のこと。
両口箸だけじゃなく、お箸は今でも変わらず、
私たちを生かしてくれる命(食べもの)を体に運ぶ道具だ。

お箸を使うことは、きっと私が想像する以上にたくさんの思い、願いが込められている。何かを畏れ敬うこととか、感謝すること、食べる喜び、生きる喜び、みたいな。

時代の流れとともに消えてゆく文化がある中で、ずっと残ってきたお箸。
お箸を使う意味を考えると、お箸を使う時間がちょっぴり特別なものに思えてくる。

                          edit&photo by 嶋田愛梨


参照:
https://www.mealtime.jp/shokublog/naohashi/2018/11/post-254.html
https://www.jstage.jst.go.jp/article/minkennewseries/48/3/48_KJ00003548579/_pdf
本田総一郎(昭和53年)『箸の本』柴田書店

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