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ウォノソボライフ(78):ウォノソボの孔子廟と仏教寺院(神道有子)

~『よりどりインドネシア』第174号(2024年9月24日発行)所収~

先日9月17日は中秋の名月でした。こちらでも雲は多かったものの夜半にかけては綺麗な満月を拝むことができました。

日本人にとっては中秋の名月といえばススキとお月見団子といったところですが、中国文化圏では中秋節として家族が揃ってお祝いをする日でもあります。インドネシアの華人の間でも月餅を食べる習慣があり、この時期になると美しく装飾された箱に入った月餅が売り出されるようになります。

ウォノソボでは中秋節の週末には孔子廟の周辺が賑やかになります。主に華人の人々が集まり、お祈りをしたり、子供のダンスコンテストを開催したりするなど、毎年何かしらのイベントがあるようです。

イスラム教徒が大多数のウォノソボですが、県内には一応、インドネシアが認めている全ての宗教の施設が揃っています。今回は、その中で特に中国文化と関わりの深い孔子廟と仏教寺院をご紹介しようと思います。


儒教、道教、仏教の集う場所

ウォノソボの中心街からバンジャルヌガラ方面へ繋がる幹線道路を行くと、鮮やかな色使いの中華風の建物が見えてきます。赤い柱に緑の瓦屋根風の門、赤い提灯。こちらがホック・ホ・ビオ(Hok Hoo Bio)と呼ばれる福和廟です。

道からは塀に囲まれていてよく見えませんが、中に入ると一棟の廟があり、香炉から漂ってくる線香の香りが外の世界とは異なる雰囲気を作り出しています。

孔子廟と書きましたが、この福和廟は儒教、道教、仏教の三教を祀るものです。平屋建ての廟は中で3つに仕切られ、一番左が儒教堂、真ん中が道教堂、そして一番右が仏教堂となっています。

儒教堂には、お馴染みの孔子を中心とし、関聖帝君(関羽)、財神爺が祀られていました。

財神爺は春節祭(旧正月)の時期になると販売される飾りや封筒などでよく見ます。孔子は主に学問の神、関聖帝君や財神爺は富をもたらす神として崇められています。

次は道教堂です。ここには福徳聖神をはじめ、太上老君(老子)に二郎真君、九天玄女、玄天上帝、廣澤尊王など、道教の神々が集まっています。

福徳聖神は土地と富を守る神です。太上老君は道教の主神とされる神の一人であり、武神である二郎真君とともに中国の古典文学にしばしば登場する存在です。九天玄女もまた軍神であり、中国の古典文学にも登場します。玄天上帝は北方守護、廣澤尊王は福をもたらす神として信仰されています。

道教堂にはポエと呼ばれる占い道具も置かれていました。2つひと組になった半月形の木製の道具で、これを地面に落とし、出た目で物事の良し悪しを占います。

最後に仏教堂です。こちらには日本人にも馴染みの深いお釈迦様、観世音菩薩、弥勒菩薩といった仏たちが並んでいました。

仏教堂には木魚やおみくじもあります。

これらの三教が一堂に会した廟で、参拝者はそれぞれの祭神を巡りながらお祈りをしていきます。まず初めに火のついた線香を頭上に掲げながらお辞儀を3回します。お辞儀は最初のものは『イーパイ』、2回目が『サイパイ』、3回目を『サンパイ』というのだと教えてくれました。その後、線香を香炉に立て、手を合わせてお祈りします。

祭神の名前や祈りの言葉など、至るところに中国語が記載されており、他の場所ではあまり見ることのない中国らしさが溢れていました。

この福和廟はウォノソボ唯一の儒教施設です。1950年5月30日に建てられましたが、当時、儒教は公には認められておらず、公共の場での宗教活動は禁止されていました。そのため、仏教寺院として運営するため三教を祀る廟となったのです。その後正式な宗教施設として行政に認められたのは1992年2月1日のことでした。2009年からは大幅な改修をし、現在の中華風の意匠をふんだんに取り入れた建築となりました。

ここは儒教、道教、仏教信者がそれぞれ祈りを捧げる場であるほか、華人系住民が集まり交流を深める場としても大切にされてきました。現在でも、信仰としてはクリスチャンやムスリムであるけれども、中秋節や春節祭などの際にはここを訪れるという華人たちがいます。そのため、実際の儒教信者数、仏教徒数よりも利用者は多岐に渡り多くなっています。華人の文化活動の中心地であり、中国を肌で感じられる数少ない場所です。

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