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[2024/05/24] ウォノソボライフ(74)今は朝?昼?夜?時間感覚と生活リズム(神道有子)

~『よりどりインドネシア』第166号(2024年5月24日発行)所収~

6月が近付き、太陽が徐々に北向きになってきました。毎朝通る道で、ほぼ右側から来ていた太陽光が右手前方に移動しており、季節の移ろいを感じます。夜明けの時間も遅くなり、5時半過ぎてからようやく辺りが見渡せるくらいです。私が低血圧なため朝は一日で一番元気がないのですが、夜明けの美しさや瑞々しい空気で一番好きな時間帯でもあります。

外国語を学ぶとき、まずは挨拶から入るのが大体どの言語でもお約束ではないでしょうか。おはよう、こんにちは、こんばんはといった時間ごとの常套文句を暗記しますよね。インドネシア語も授業の第1回はこれらでしょう。Selamat pagi、Seladat siang、Selamat sore、Selamat malam…。挨拶を覚えると、おお新しい言語の世界に入っていくのだなという気がしてきます。これらはコミュニケーションの基本ですから実際よく使います。しかし使っていくうちに、おはよう、こんにちはなどを使うタイミングの認識にズレがあることを感じるようになります。全ての人類に平等に訪れる1日24時間ですが、その割り当ては、実は少し違っているかもしれません。


朝、昼、夕方、夜

インドネシア語の授業の第一回で、まず挨拶の総数が日本語とインドネシア語では異なることを知らされます。「おはよう」はSelamat pagi、「こんばんは」はSelamat siangですが、「こんにちは」に相当するフレーズは2種類あります。Selamat siangとSelamat soreです。これは、同じ意味でどちらを使ってもいい、というわけではありません。siangは昼の意味で日中に使う「こんにちは」、soreは夕方の意味で夕方に使う「こんにちは」となっていて、明確に区別されています。日本語話者からすれば、昼も夕方も「こんにちは」で済むのに、細かいことを気にするんだなという印象を受けます。

「夕方なんて2、3時間くらいしかないのに、わざわざそんなちょっとした時間帯のためだけに専用の挨拶があるなんて、不思議だな」と私自身感じたものです。ところが、この認識がそもそも間違っていたのでした。

突然ですが、皆さんは夕方を何時頃だとお考えでしょうか?

私はなんとなく、4時あたりから暗くなるくらいまでを長年夕方と呼んできました。少し前に、気象庁による『夕方』の定義がSNS上で話題になったことがあります。気象庁のホームページには、「15時頃から18時頃まで」とされていますが、それに対し、「知らなかった」「4時とか5時頃じゃないのか」といった反応が多く寄せられたのです。

新明解の辞書には、夕方とは「日が西に傾いてから、あたりが暗くなるまでの間」とあります。日中の強い日差しが弱まり、夜へと移行する準備が始まる変化の時間帯、気温も少し肌寒くなってくる頃、が夕方としてしっくりくるように感じます。そのため、気象庁のいう3時はまだ日差しが昼のものに近く、意外だと感じた人が多かったのではないでしょうか。

夕方になるのが早く/遅くなったね、というような言い方もするため、季節や地域によって夕方となる時刻は変動もするでしょう。一応、気象庁も備考欄として「日の暮れ頃を指す用語であるが、予報用語としては上記の意味で用いる」と追記しています。日常で使う夕方という言葉とは別に、気象データとして時刻を提示する場合の夕方という語が定義されている、というところでしょうか。やはり夕日や夕焼けといった現象とも関連があり、空がオレンジになりゆく頃、カラスがおうちに帰る頃、というイメージが拭えません。

こうした使われ方をする『夕方』という単語を、インドネシア語にすると『sore』となります。従って、selamat soreもやはり4時などの少し涼しくなった頃から使うものなのだろうと思っていました。しかし実際には、昼下がりを少し回ったくらいからsoreと言われ始めます。3時はもう完全にsoreで、お母さんたちが子供たちを「もうsoreだから早くマンディ(沐浴)しなさい!」と追い立てる時間です。

KBBI(Kamus Besar Bahasa Indonesia インドネシア語大辞典)では、soreとほぼ同じ意味で用いられるpetangという単語を「約3時頃から日没まで」と説明しています。一方で、同じくKBBIで昼(siang)は「約11時から14時まで」としているので、2時から3時あたりがsiangとsoreの切り替わりどきということになるのでしょうか。soreを2時からだとするネット記事もちょくちょく見られます。まだこんなに明るいのに、もうsoreなんだな、と言葉の指す範囲の違いを何度も感じました。習い始めた当初は、日に2、3時間くらいしか使いどころがないのではないか、と思っていたselamat soreも、意外と使う機会が多かったのでした。

こうした時間帯の区分は何に由来するのでしょうか。一つ、とても影響の大きい要素として、イスラム教徒の日に5回のお祈りがあるのではないかと思います。

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