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[2024/06/22] ラサ・サヤン(55)~シケレイ~(石川礼子)

~『よりどりインドネシア第168号』(2024年6月22日発行)所収~


西スマトラ州・ムンタワイ諸島

遠藤周作著の『沈黙』が2016年に著名な映画監督、マーティン・スコセッシの下、映画化されました。英題は “Silence” です。その映画に感化されたジャカルタのカトリック日本語教会が2018年に企画した「隠れキリシタンの痕跡を訪ねる」ツアーに縁あって参加しました。参加者は25名くらいでしたが、そのなかで親しくなったリアさんという女性が「ムンタワイ&ニアス・ツアー」を企画し、先月(2024年5月)、参加しました。旅行期間が12日間と長いこともあり、参加者は私たち夫婦と主催者のリアさん、そしてリアさんの大学の同級生・フランシスカさんの4名でした。リアさんは敬虔なカトリック教徒で、教会のボランティア活動も積極的にされている方です。時にカトリック教会から大学の神学部などにセミナー講師として派遣されている方でもあります。

5月1日にジャカルタ・スカルノハッタ空港を出発、西スマトラ州のパダンに降り立ちました。パダンを訪れるのはこれで2回目です。ここを起点に西スマトラ州のムンタワイ諸島、そして北スマトラ州の二アス島に行くことになります。たった4人の旅ですが、道中、バスが通れない道があったり、船中泊があったりで、今思えば1台の乗用車で収まる人数で良かったと思います。

パダンで1泊し、翌日、ムンタワイ諸島のPulau Siberut(以下、シベルト島)に向けて出発しました。“Mentawai Fast”というフェリーに乗船して3時間半、シベルト島に到着しました。フェリーの乗船客には欧米人が多く、皆、サーフボードを抱えていました。

シベルト島に到着すると、リアさんが手配してくれていた通り、現地に宣教師としていらしたモーリス神父と教会のドライバーが迎えてくれました。モーリス神父は37歳、アフリカ系アメリカ人のように見えましたが、インドネシア語が流暢だし、すれ違う人たちが皆、“Pastor, Pastor”(神父とか牧師の呼称)と気軽に声を掛けるので、東インドネシア出身の人かとも思いました。「どちらの出身ですか?」と聞いてみると、なんと西アフリカのカメルーン出身だと言うではありませんか。来イしてまだ1年なのに、インドネシア語はおろか、現地のムンタワイ語も話せます。本人曰く、得意・不得意はあるものの12ヵ国語が話せるというのも頷けました。

シベルト島とモーリス神父

そのモーリス神父が手配してくれた車は、教会の所有物だというピックアップ車でした。主人は身体が大きいので助手席に乗り、それ以外の私を含む女性3人と神父は、ピックアップ車の荷台に備えられた座席に座ります。先ず、荷台に乗るのが一苦労、踏み台を用意してくれましたが、それでも、ピックアップ車の鉄柵を持って、よいこらしょと重いお尻を上げなければなりません。あと5年もしたら、こんな旅はできないかも知れません。

ピックアップ車に乗るモーリス神父と女性3名
海を眺めながらの朝食

道は舗装されているので、港からホテルまで風に吹かれ、初めての風景を楽しみながら宿に着きました。この宿は教会が運営するゲストハウスで、宿の収益はカトリック教会の社会貢献活動に使われます。部屋を出ると、庭を挟んで目の前が海、まさにオーシャンフロントです。コテージの真ん中に共有のダイニングスペースがあり、どこまでも続く海を眺めながらいただく朝食は格別でした。宿の管理人はバタック人とジャワ人の2人の女性で、午前中は小学校で教師をし、午後は宿で働くという生活をしています。

シベルト島の料理は、主に焼き魚や煮魚、鶏肉などをおかずに、サゴヤシから採れるでんぷん粉で作った固めのパンケーキのようなものをご飯代わりにちぎりながら食べます。味がないし、固いので決して美味しいとは言えませんが、モーリス神父は焼き魚と一緒にサゴを美味しそうに食べます。カメルーン人は普段どんなものを食べるのか、こっそり調べてみたら、タピオカ粉をバナナの葉に包んで蒸した「ちまき」のような主食と焼き魚の写真が出てきました。シベルト島の食べ物とかなり似ていたのに驚きました。

豚肉はご馳走のときにしか出されないようで、シベルト島では一度も口にしませんでした。果物は、5月が旬らしいLangsat(以下、ランサット)と呼ばれるドゥクに似た実があり、どの家を訪問しても必ず出されました。聞くところによると、収穫した人が島の親戚中に配るのだそうです。

サゴヤシから作られる主食のサゴ
(出所)https://lifestyle.okezone.com/read/2018/11/26/298/1982895/sikarak-karak-sagu-martabaknya-orang-mentawai
ランサットという果物

島内でのモーリス神父の人気は高く、ピックアップ車に乗って走っていると必ず島民が荷台に座る神父に呼びかけます。そんな島民から好かれている神父の手配でシベルット島の伝統家屋を何軒か見学させてもらうことができました。

伝統家屋と頭蓋骨

このムンタワイ諸島に住む「ムンタワイ族」の祖先は、紀元前 2,000 年から紀元前 500 年の間に初めてこの地域に移住したと考えられており、世界最古の部族の1つと言われています。ムンタワイ族の宗教別人口は、2020年の統計によると、イスラム教徒が22.3%、カトリック教徒が29.1%、プロテスタント教徒が48.6%となっています。彼らは昔から“Arat Sabulungan”と呼ばれるアミニズムを信仰しており、現在も後述する「シケレイ」然り、このアミニズム文化が残っています。

インドネシア語で「家」のことを“Rumah”と言いますが、ムンタワイ族は、彼らの伝統家屋のことを“Uma”(以下、ウマ)と呼びます。一般的に「ウマ」は釘を一本も使わずに建てられており、屋根はサゴの葉で覆われています。「ウマ」は高床式で、高さは1 mほどあります。したがい、一本木をくり抜いて作られた幅の細い階段を登ってお邪魔することになります。床下は、以前は家畜用に使用していましたが、今は一般家庭に家畜はいないようでした。ただ、キリスト教徒が多い地域ということもあり、どの家庭でも犬を1~3匹は飼っていて、やたら犬が多い印象を受けます。猫の多いジャワ島とは違う点です。

動物の頭蓋骨が飾られたムンタワイの伝統家屋
訪問した家の家族と記念撮影

伝統家屋のベランダから家の中に入る前の天井には、イノシシや鹿、猿の頭蓋骨が所狭しと飾られ、海ガメの甲羅も飾ってあります。昔、島民はこれら動物を食用にしていたそうです。勿論、今は捕獲が禁じられており、海辺には捕獲禁止の生き物の絵が描かれたポスターが貼ってありました。食べた動物の頭蓋骨を飾る理由を聞くと、家人は「この家は祝福を受けました」と答えました。ネット検索したところ、ムンタワイ族の家に動物の頭蓋骨が多ければ多いほど、狩猟のスキルが高いと見做され、その家の誇りとされていたそうです。

モナチ運河を通ってマシロ島へ

シベルト島に来て2日目に、これまたモーリス神父の手配で、離れ小島へモーターボートで行くことになりました。ムンタワイ諸島には103もの島々があります。私たちが訪れたのは、そのなかのPulau Masiro(以下、マシロ島)という島です。なぜ、この島を選んだかというと、モーリス神父の教会の信者で、今回モーターボートを操縦してくれる船頭さんの叔母に当たる人が一人で住んでいる島だからです。

乗り心地が良いとは言えない木製のモーターボートで出発したものの、運河のマングローブ林をゆっくりと進んでいき、なかなか大海に出ません。船頭さん曰く、この運河は「モナチ運河」と呼ばれ、長さ1.5 km、深さ2 m、幅5 mのためスピードが出せません。不安になって「ワニは居ないのか」と聞くと、島民が全て食べ尽くしてしまったのでもういないとのこと。ワニも食べていたのか~と驚くと同時に、ワニがいないことに安心しました。

この運河は1985年から1991年にかけて、当時、シベルト島に住んでいたイタリア人のオットリノ・モナチ・FX神父がシベルト教区の寄宿生数十人と共に6年間掛けて鍬とシャベルのみで、この運河を建設したのでした。この運河が建設されるまでは、東や北の島に行きたい南シベルト住民は、西海岸まで航行しなければならず、約3時間も掛かりました。

運河ができたことにより3時間の航行が30分で行けるようになったそうです。地域のためにこの大きな貢献をしたモナチ神父にちなんで名付けられた「モナチ運河」ですが、モナチ神父はイタリア国籍だったゆえに「カルバタル賞(インドネシア政府が環境保全に貢献した人物に贈る賞)」を授与されることはありませんでした。

「モナチ運河」を超えると、ようやく大海原に出ましたが、そこからマシロ島まで約1時間掛かりました。大海の真ん中で万一モーターボートが故障したら一体どうなるのだろうと不安に駆られる私をよそに、主人は携帯のシグナルがあると歓喜し、わざわざ知り合いに電話を掛け、「実は今、海の上なんだよ~」と自慢していました。

さすがTelkomsel(インドネシア最大の通信キャリア)の4G !!!Telkomselは、今年3月のニュースで、14 隻の船舶に4G を備え、インドネシア全国の83 港、1100 ルートをほぼ全てカバーしているそうです。漁師の人たちも航海の途中で家族と交信できてさぞかし喜んでいることでしょう。

「モナチ運河」を通過する様子
シグナルがあると携帯で電話を掛ける主人

マシロ島に着いてボートから降りると、白い砂浜が延々と続いています。迎え出てくれた船頭の叔母さんは、40代とおぼしき優しい方でした。私とリアさんは水着に着替え、遠浅の海で泳いだり、貝を拾ったり、主人はハンモックに揺られながら、ゆったりと時が過ぎるのを楽しみました。シベルト島から余分に持ってきたナシ・ブンクス(ランチボックス)を船頭さんと叔母さんにも分けて一緒に食べ、暫くしてマシロ島を後にしました。こんな旅もなかなか経験できるものではありません。

シケレイ

シベルト島に到着して宿に戻ると、すでにモーリス神父が待ち構えていてくれました。これから「シケレイ」というシベルト島に存在するシャーマンの儀式を見に行くと、かなり興奮気味です。私たちは急いでシャワーを浴びて身支度することになりました。

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