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[2024/07/23] いんどねしあ風土記(55):スラウェシ島縦断の夢への一歩、初の鉄道トランス・スラウェシ ~南スラウェシ州~(横山裕一)

~『よりどりインドネシア』第170号(2024年7月23日発行)所収~

2023年3月、スラウェシ島「初の鉄道」のふれ込みで、南スラウェシ州の州都マカッサルとパレパレを結ぶ一部区間で有料の運用が開始された。ジャワ島と比較して開発の遅れが指摘される外島のひとつ、スラウェシ島の住民にとっては物流や日常的な移動を含めた地域振興に期待がかかる。またこの鉄道はスラウェシ島南端の都市マカッサルから同島北端の北スラウェシ州州都マナドまでの全長約2,000キロを結ぶ「スラウェシ島縦断鉄道」としての壮大な構想のスタートでもある。運用開始から1年の鉄道に乗りながら、将来の夢実現への道のりに想いを馳せる。


「トランス・スラウェシ」発進

「我々は公共交通機関の整備に遅れた。各州、各都市を結ぶことは重要で、鉄道建設はその基盤である」

鉄道トランス・スラウェシの一部運用開始にあたって出席したジョコ・ウィドド大統領はこう述べ、国家戦略事業でもあるスラウェシ島縦断鉄道の必要性を強調した。トランス・スラウェシ構想は2000年代から具体的に始まり、2015年から建設が本格化した。そして、2022年10月一部区間で一般住民を無料で乗せた試験運用を経て、半年後に運用が開始された。

トランス・スラウェシ運行ルート(赤点線は未開通)

現在の運用区間は、南スラウェシ州の州都マカッサル~パレパレ間145キロのうちの中間部分84キロで、マカッサルから計画上3駅目にあたり、スルタン・ハサヌディン空港近くにあるマンダイ駅から港町ガロンコン駅までの10駅を結ぶ。マカッサルからマンダイ駅まで、またガロンコン駅から先のパレパレまでは現在も整備中だ。

トランス・スラウェシ鉄道

運行は3両編成の列車がマンダイ駅とガロンコン駅間を一日に2往復し、始発のマンダイ駅発が朝8時20分で最終のマンダイ駅到着が夕方6時10分。所要時間は片道1時間55分。自動車での移動と比較すると半分近くの時間に短縮される。一回の運行で一部立ち客を含めて約200人が乗車可能である。運賃は5,000ルピアから1万ルピア(約50円~100円)、地域住民にとっては安価で便利な足ができるとともに、政府にとっては地域発展への壮大な計画の第一歩でもある。

風光明媚な南スラウェシを駆け抜ける

マロス駅駅舎
入り口にブギス語で「ようこそ」と表記された看板

現在、運行区間の南端にあるマンダイ駅からひとつ目のマロス駅から乗車する。マロス駅の敷地は田園地帯を切り拓いたとみられ、広大な敷地に駅舎がポツンと立っている。沿線の各駅も同じような光景である。マロス駅の駅舎から線路を挟んだ向かい側には、鉄道を運行管理するインドネシア・セレベス鉄道(PT. Celebes Railway Indonesia)の現地本部と操車場がある。駅の入り口には、地元ブギス民族の言語とインドネシア語で「ようこそ」と書かれた看板が掲げられ、乗客を出迎える。

切符を購入した乗客は安全のためプラットホームへは入れず待合スペースで待機し、列車が入線する直前に駅員によって移動が促される。列車がマロス駅に到着する。車両はインドネシア製で、外観はジャカルタの軽量高架鉄道(LRT)の車両とほぼ同じデザイン。3分間の停車後、列車は定刻に出発した。

マロス駅の待合室
マロス駅で列車に乗り込む乗客たち

ウィークデーの日中にも関わらず、車内は始発マンダイ駅からの乗客ですでにほぼ満席だった。よく見ると、乗客のほとんどが女性と子供たちだ。ちょうど学校の長期休暇にあたり、母子で列車を往復乗車し、ミニ観光を楽しむためだとのことだった。同様に州都マカッサルからも専用の連絡バスでマンダイ駅まで来て、乗車した親子連れも多い。スラウェシ島初の鉄道と銘打つだけに、初めて鉄道に乗る地元住民も多く、運用開始から1年余りが経つがいまだに観光がてらの体験乗車をする人が多数を占めていた。

車内の様子
車窓からの眺めを楽しむ乗客たち

車窓からの眺めはこうした観光客にとって十分耐えうる風光明媚な景色が続く。マロス駅を出るとすぐに両側の車窓には広大な田園が広がり、稲の緑色が目に染みる。田園のあちこちには地元ブギス民族による高床式の伝統家屋も窺える。

ほどなく進むと、東側の車窓には南スラウェシ州特有のカルスト地形による台地が遥かに広がる。石灰岩を多く含むため、水の侵食により切り立った塔のような独特な形状をしている。南スラウェシ州のカルスト地帯の広さは462平方キロとインドネシア最大で、世界でも中国南部に次ぐ規模を持つ。

車窓奥に広がるカルスト台地

このカルスト地帯で発見された洞窟壁画が世界最古を更新していたことが、2024年7月、科学誌『ネイチャー』に発表され、大きな反響を呼んだ。それによると、マロス県にあるカランプアン洞窟から2017年、野生の豚や人間などを描いたとみられる壁画が見つかり、最新の年代測定法により約5万1,200年前のものだということが明らかになった。この数字は、動物など具体的なものが描かれ物語性を持つ壁画としては、これまで世界最古とされた同地区の別の洞窟から見つかった壁画の約4万3,900年前をさらに遡ることを示した。(これまで最古とされた壁画の年代も最新測定法では、約4万8,000年前を示した)

世界最古の洞窟壁画が発見されたカランプアン洞窟のあるカルデラ地形の丘

『ネイチャー』誌や地元報道などによると、今回発見された壁画の一部では野生の豚とその周りに3人の人間とみられるものが描かれ、狩猟をしている様子だと解釈されている。また一方で、人間とみられるものの頭部には鳥の嘴のようなものも確認できることからこれらは半獣半人だという見方もあり、当時の人々の精神世界を垣間見る上で重要な意味を持つという。物語性のある最古の洞窟壁画はスラウェシ島で発見されるまでは、ヨーロッパで発見された3万数千年前のもので、従来は人類が絵を描くという認知能力や芸術能力はヨーロッパで起こり、人の移動により世界に伝播したものと考えられていたという。しかし、東南アジアのスラウェシ島でさらに古い壁画が見つかったことは従来の定説を覆し、認知能力や表現能力は伝播ではなく、世界各地で多発的に発生した可能性が高いという、先史時代の研究に大きな意味を投げかけるものだったという。

今回最古の壁画が見つかったカランプアン洞窟は扇状地に面した山脇に巨大な建物のように単独に屹立した石灰岩の丘の中腹にある。洞窟の周りは平地が広がって近くには川があり、太古の人々の営みを想像させる雰囲気を持っている。

トランス・スラウェシの列車の車窓からはこうしたカルスト地形を遥か遠くに望むばかりだが、太古ロマンに想いを馳せるには十分な眺めだ。また、石灰岩を採掘する巨大なセメント工場も姿を現す。トランス・スラウェシでは将来的な物流を兼ねてか、セメント採掘場方面に向けた支線も整備されている。

カルスト地形を過ぎてしばらくすると、西側の車窓には短い間だがマカッサル海峡の海が広がる。日も傾きかけた長閑な海には魚を獲るための櫓がいくつか見える。列車沿線は南スラウェシ州の風光明媚な自然を満喫するには適していて、乗客の多くが観光目的である現状もうなずける。

マカッサル海峡を望む

車内に目を戻すと、多くの荷物を足元に置いた母子が座席に座っていた。まもなく到着する終点、ガロンコン駅から朝、列車に乗り、その後バスを乗り継いで州都マカッサルまで買い物に行った帰りだという。足元の荷物には、包装紙から子供用の新しい鞄が顔を覗かせていた。列車が開通する以前は、ガロンコンからマカッサルまで全てバスで行き来しなければならず、長時間を要したという。

「列車は運賃も安いし、便利で助かります」

観光だけでなく、日常生活の足としても地域鉄道の役割は果たされ始めているようだ。しかし、本来の現行運用区間の始発と終着駅となるはずの大都市マカッサルとパレパレがいまだに接続していない点は、トランス・スラウェシとしての本来の役割・機能が十分に発揮できていない大きな要因だといえそうだ。

地元の報道によると、マカッサルには港近くの始発駅を含む2駅を設置予定だが、現在稼働しているマンダイ駅からマカッサルを結ぶルート上の用地買収が未だ進んでいないという。すでに住宅を含め都市化が進んでいるマカッサルでは用地確保が困難なためだ。このためマカッサル市は都市部のレール敷設の高架化を提案しているが、建設を担当する南スラウェシ鉄道管理局の試算では高架化には当初予算が少なくとも2.5倍以上膨れ上がるため、難航しているという。

現在運行してるトランス・スラウェシで最もマカッサルに近いマンダイ駅では、マカッサル方面への敷地整備はされているが、工事は止まったままである。マカッサルからパレパレまでの全線開通は当初予定では2026年だったが、残念ながら予定は遅れる見通しの可能性が高そうだ。

線路は最もマカッサル寄りのマンダイ駅で途切れ(上写真)、
マカッサル方面は一部整地されているが、工事は止まっている(下写真)

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