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詳しい自己紹介・HSPについて

お恥ずかしながら、社会人になってから本を読むようになりました。
私にとって20代は学生時代以上に自分とは何かを考える日々でしたが、その中で私が衝撃を受けた、というか今まで言語化できなかった自分の違和感を表現してくれたのはHSPという概念でした。

その時に読んだ本は時田ひさ子さんの『その生きづらさ、「かくれ繊細さん」かもしれません』という本で、もう読みながらニヤニヤしちゃうというか、普通に声出して笑うくらい、今まで誰にも言えなかった細かい自分の考え方や行動などが的確に表現されていて、同時に救われたような気持ちになりました。

気持ちが昂って、時田ひさ子さんのTwitterにお礼のメッセージを送ってしまったほどです。時田さんはご丁寧に返事もくださって、さらにはその時の私の感謝のメッセージを読者からの声として採用してもいいですか?と言ってくださいました。嬉しかったです。

HSPも研究段階で、色んな分類なども出てきているので、正確に捉えられているかはわかりませんが、今のところHSS型HSPの説明が自分にはしっくりきています。日常において感覚的に自分のことをめんどくさいなと思うことが多すぎて、具体的に自分のことを伝えられるエピソードが正直すぐぱっと出てこないのですが、そういえばで思い出したことが2つあります。

①大きい音が苦手
そういう人もいるでしょ、と思われると思うのですが、苦手な理由がちょっと変わっているかと思います。
大きい音を聞いた時、自分自身がその音に感覚過敏になって嫌な気持ちになるのではなく、この大きい音のせいで誰か困ってる人がいたらどうしよう、例えば野外イベントであれば、そのイベント会場の近隣住民が音がうるさいなと感じていたらどうしよう、と考え始めてしまい、実際にその音に苦しんでいる誰かを想像してしまう。その人の感じているであろう痛みが辛くて、そのことで頭がいっぱいになってしまうから苦手、という理由なんです。(実際にそんな人を見たこともないし、そんな奴いるわけないだろうと思われると思いますが)
小中学生の時、運動会や体育祭のBGMがめちゃめちゃ苦手でした。小学生の時は先生に少し音を下げてもらえませんか?と伝えてしまったほどです。
大人になった今でもイベントやライブの時にはちょっとドキドキしてしまうので困ります。(でもイベントやライブなどで大騒ぎすることは大好きなので、テンション上げて自分の意識を逸らすようにしています)

②勝手に絶望する
小学6年生の頃、クラスが学級崩壊していました。担任に対する生徒たちの反抗がひどく、雰囲気は最悪でした。さらにクラスの一部の男の子からある女の子に対するちょっとしたいじめもありました。
私はその子とはすごく仲が良いっていうわけではなかったけれど、その女の子がいじめられている場面に出くわした時、助けてあげられませんでした。
その子の感じる痛みがどれほど辛いだろうという気持ちと、その子の辛さに対して何も行動が起こせない自分に対する怒りで、頭の中がいっぱいになってしまい、学校に行きたくなくて、学校に行く前はいつも家のベランダの前で泣いて、学校にも泣きながら行っていました。(両親にはバレないように、かつ学校に着くまでには泣き止むように努めていましたが)

③定期的に充電が必要になる
学生の時、必ずどこかのタイミングで体力切れ?を起こすことがよくありました。いつもは普通に過ごしているのに、どうしても今日は学校に行きたくない、部活に行きたくない、習い事に行きたくない、遊びに行きたくない、人に会いたくない、何もしたくないとなってしまう。なぜかいつも過ごしているはずの日常に拒否反応が出てしまう。だからあまり言いたくないけど、体調不良でずる休みすることがたまにありました。(私にとっては自分の精神を保つためにどうしても必要な休みだからずる休みというとそれはそれで違うと言いたくなってしまうけれど)1日何もない日を作らないと気疲れでオーバーフローしてしまうんだと思います。

とにかく誰かの「気」が入ってきてしまうし、それによって疲弊してしまう。よくわからないところで気を病んでしまうこともめちゃめちゃあります。

あまり理解されないかもしれませんが、とりあえず私はそういう人です。よろしくお願いします。

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