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解凍された古い記憶

「ラーメンを冷凍庫から出して鍋で解凍する」という夢の一部。
ゆきさんの話だと、忘れてられていたような古いなにか。ではないかな~とのこと。

セッションのあと、なんとなく気になっていて…。

もしかしてと閃いた日は、獅子座の下弦の月だった。しかも度数が4度で
ネイタル月とトランジット月がほぼ真反対で向かいあってる。トランジット太陽は90度でネイタルの月を刺激する。そんなタイミング。(この辺の感覚は個人的なものなので、あまり関係ないかもだけど)

  閃いたことというか、思い出したこと。  それは、子供の頃のこと。

テレビがなかったり、お風呂がなかったり、旅に連れ出されて15歳までに4000キロ歩かされていること。一般的でないことばかりに目がいっていて、良い思い出を忘れていた。

とても深い愛のもとに育てられていたこと。

 父は、よくスライド会を家でしてくれていたこと。

 家族で旅に出たときの写真をスライドにしてくれて、定期的に家で家族みんなでみたこと。それをとても楽しみにしていたこと。夕ご飯を食べ終わった後に、みんなで集まってお茶を読みながら思い出話をしながらみたこと。

 とくに原田泰二さんの「さだおばさん」シリーズのスライドもよくしてくれてた。←そういう古き良き日本の風景を見せてくれていた。

母は、ほぼ毎日、絵本や児童書をいっぱい読んでくれたこと。
パディントン、モモ、長くつ下のピッピ、…とか色々。

 いろんな種類のレコードをかけてくれてたこと。
 テレビは無かったけど、家族でラジオドラマをよく聞いていて、ラジオ番組にリクエストハガキ送ったりしていた。
読まれるかな~と母と兄とラジオの前で楽しみに聞いていたり。

  クリスマスには、必ず家族そろって過ごすことが通例で、大人になってもプレゼント交換会をしていて、今年はどこでケーキ頼むかとか、どこどこのケーキ屋さんのおじさんは、いつも変だね~とか。プレゼント何にするか❓とかを楽しみにしていた。プレゼント買う店がかぶって、買う時に会ったり(笑)

兄はいつも自作の漫画や詩集をくれた。  

必ず手作りのクリスマスカードを家族分つくって、渡していた。 

なかでも忘れてた大きなことは、家族での旅でたくさん泊まった ユースホステルのこと。父がユースホステル関係のお仕事をしていたこともあって国内のユースホステルにおそらく300泊ぐらいはしているはず。
いっぱいの良き人に会っていて、かわいがってもらったこと。

私が4歳の誕生日の時、父と二人で行ったホステリングは、今でも鮮明に覚えているほど。

ユースホステルは、夜、宿泊者のミーティングがあって、宿泊していた皆さんがいっぱい遊んでくれた。連絡先交換して、文通したりした。

毎月届く「ユースホステル新聞」を楽しみにして、どこのユースホステルでどんなイベントがあるんだろう~?と端から端まで兄妹でもみていたな~。

 地方だけでなく、都市部のユースホステルでも年末のUNO大会やオセロ大会があって、子供だけで泊まりで行っていたけど、暖かく受け入れてくれたペアレントさんたちとヘルパーさんたち。

小学生の時も信州や北海道へ一人ユースホステル旅をさせられて、でも行った先ではとても楽しかったこと。

自分で思い出せるレベルの幼少期の想い出は「悲しい記憶」としてあったけど、深い、深いところでは、実は「善き思い出」が冷凍されていたのでした。

そのことに気づいたとき、なんて自分は恵まれているのだろう~!と気づいて、もっと思い出したいなと思いました。冷凍されていたラーメンの麺が少しづつ解凍されていくのかもしれません。

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