見出し画像

スマブラにはまっている話

Amazon | 大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL - Switch | ゲーム

最近、スマブラにはまっているんだけども、ゲームについて思うところがあるので久々にノートを書く。

子供の頃ドラゴンクエストに夢中だった。電源をいれて、オープニングテーマが始まったときの高揚感は、今の私の人格にも何割か影響を与えていると思う。少年の時の私は自分でゲームを手に入れることができなかったし、ゲームの時間も親の顔色を気にしながらやっていたので、何も気にせずにドラクエをやり続けることがある種、夢だったと思う。

アルバイトをするようになって、金銭的に余裕ができた。(恥ずかしながら大学生らしく時間的にも余裕ができた。)自分のお金でドラクエを買ってみた。子供の時からの夢が叶う瞬間だった。ところが、驚いたことにゲームを始めて見てもあまり心は躍らなくなっていた。子供の頃あんなに楽しかったのに。

子供の頃の私をゲームに夢中にさせていた原因は「感情移入」だったと思う。ドラゴンクエストをプレイしている人は勇者そのものとしてゲームを続けているはず。だからこそゲームのストーリーが重視されて、それがいかにも少年心をくすぐるものだからこそあれだけヒットしたのだと思う。

同じものを見続けていると自己と同化したように感じるという話を聞いたことがある。だからこそ線香花火は面白い。落ちた瞬間に自分の中の何かが消えてしまったような儚さがある。ドラゴンクエストも同様の理由で、苦労してレベルが上がったときは自分の中で何かが成長したような気持ちになるし、魔王を倒せば自分が世界を救ったような爽快感がある。

「感情移入」 これがうまくいかなくなったことが、私がドラクエを楽しめなくなった理由だ。

そんな私がスマブラにはまった。

スマブラ、APEX、フォートナイトって感情移入が必要ないと思うんだよね。なぜかというと、かなり技術力が勝負になるゲームだから。

勝ち負けが自分の実力で決まってしまう。この時、私がマリオを操作していようが、私がマリオの気持ちになる必要が一切ない。勝とうが負けようがすべては自分の技術力次第だから。ドラゴンクエストでは画面の中のストーリーが主役だったものが、画面を飛び越えてプレイヤーの技術力が主役になった。

もしスマブラやAPEXで勝った場合、感情移入がなくとも、私の技術力の高さ、強さが証明され、これは本能的に気持ちがよい。負ければ本能的に悔しさを感じる。

この本能的な、闘争心のようなものに訴えかけているゲームだからこそはまってしまうのだろうな。

また技術が主役のゲームだからこそ、eスポーツとして成立するのも至極当然なのだろうな。

いつかオリンピックで知ってるゲームの大会が見られたらすごい楽しそう。

おやすみなさい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?