婚活、やめました。【その1】
1:はじめに
2020年春。
俺は婚活をやめました。
失恋で、自分の中の『何かが切れた』『燃え尽きた』という感情が湧き上がりました。
44歳、就職氷河期世代、低収入、友達が少ない、異性との交際経験も少ない、まして結婚した経験もない…
結婚するとか家族を持つことが人によっては『贅沢』呼ばわりされる時代、(参考: https://gendai.ismedia.jp/articles/-/69207)平成バブル後の自己責任・サバイバル時代で己がどうやって収入を増やせるか、いかにして生き残るかを最優先に考えて生きてきて、齢四十にして漸く心の余裕が出来、婚活を遅まきながら初めてみました。
しかし、いざ婚活をしてみると『値踏み』し合うような感じが拭えず、『婚活パーティー』は撤退しました。
2:異性との出会いに期待した趣味(加筆訂正:2020/03/25)
2017年頃、インターネット(特にツイッター)にハマりすぎていた中で、ツイッターで知り合った女性に振られたことが最後の一押しとなり、ツイッターを一度やめました。
そこで、ツイッターでだいぶん時間を無駄にしていたことに気付き、とりあえず目についたもの、興味が湧いたものに参加し、『自分磨き』をやることにしました。
映画鑑賞、読書、料理教室、韓国語教室などなど。
その場限りのものもありますが、これらは後々役に立つかもしれない、と思い、今も続いています。
それ以外にも水泳をやっていた影響(泳力を活かし、タイムレースから離れるつもりで)もあり7年程前からスクーバダイビングを始めていますが、そのダイビング通じて6年程前に知り合った人の中に好きになった人がいました。
笑顔がとても印象的な人でした。
知り合った当時はその人は交際相手がいて、その後結婚しました。俺は当時フリーで、その後別の人と交際しましたが、当時の彼女は、その後マルチ商法にハマったのをきっかけに自然消滅に持ち込みました。
当時の彼女は我欲が強く、俺が彼女の我欲の為に利用されているんじゃないかという強い恐怖を感じたことが自然消滅のきっかけにあったんだと思いました。
2019年暮れ、笑顔がとても印象的なその女性からインスタグラムにお茶しないかというDMが来ました。
『結婚してるはずなのになんで?』
と思いましたが、無碍にするのは忍びない、そして、好きな人だったのでなんとしても会わないと一生後悔する、と思い、休みなどのスケジュールを合わせて、2020年1月下旬に会うことにしました。
久々に見た彼女は笑顔が素敵で、俺が元々持っていた好感が増していきました。
食事をし、散策するだけのほんの数時間だけでしたが、とても楽しい時間を過ごすことができました。
その時、彼女が離婚していたことを知りました。
この出会い、俺の中では薄々ですが『人生最後の恋愛になる』という予感がありました。
思い切って『好きだ』と告白しました。
『お友達』だ、という返事でした。
後日、その人は彼氏ができていたことを知りました。
長いこと密かに好きだった彼女を諦めるには、そして、俺が結婚そのものを諦めるには長い時間がかかりそうですが、それでもいい、と思っています。
腹括って人に自分の意思を伝えることができて、後悔も思い残すこともありません。
3:気付いたこと
いわゆる『低スペック』の自分が、結局は失敗に終わった婚活や、これまでの女性との交流で気付いたことをここに書き残し、これから伴侶を探そうとする人の一助になれるよう微力ながらお手伝いできるようにします。
【婚活や恋愛を通じて気づいたこと】
・漫画やアニメやポルノと違い、生身の人間と向かい合うことで現実主義的感覚を養える。
・特にジェンダーに関わる価値観をアップデートしていくことができる。
・恋愛対象の人(俺の場合は女性が恋愛対象)との交流で、個々人の事情を尊重しようと思うようになる。
・(可能性は消滅したが)結婚や家族の形態の選択肢を知る、そして、シミュレーションしてみることができる。
(※俺の場合は、最後に好きになった人から離婚時の手続きが面倒だったと話を聞いたので、俺の我儘で好きな人に不都合を押しつけ、無用な負担を押し付けるのは良くないと考えるようになりました。
最後の恋愛で『事実婚』という選択肢を持つこともアリだと思いました。)
・日本社会での女性特有の事情、例えば性犯罪被害の問題や家族法の問題についての想像力を働かせようと努めるようになった。
【俺の中の感情】
・女性(特に好きな女性)から男として見てもらいたい、生涯の伴侶として選んでもらいたい、愛を受けたかった。
・女性への支配欲、独占欲。
(※それを如何にコントロールするかが重要だと思います)
・所謂『モテる』人やスムースに(そう見えるだけだとしても)交際/結婚/家庭を持つことができる人への羨望/嫉妬感。
・不況続きで安定した収入を得られなかったこと、もはやリカバリーすら許されない日本の社会への失望感。
・やり直そうと足掻く人々への、日本の社会の冷淡な視線への苛立ち。
これから人を好きになろうとする人、結婚しようとする人は、俺のような『負け組』の失敗から何かを感じ取ってもらえるだけでも幸いです。
ここでは個人的な感想をもとに書き殴ってみましたが、もう少し風呂敷を広げて『その2』を書きます。
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