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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
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サニーの家族の歴史

はじめに

 こんにちは、松田と申します。noteにて、OMORIに関する自分の解釈・考察をまとめております。
 後日、類似した内容の動画がYoutubeの「松田文哉」のチャンネルにて公開される可能性もございますが、この記事を書いているのも松田文哉であるため、ご安心ください。
 また、今回を含めまして、OMORIの解釈などはあくまでも「ゲームとしてのOMORI」や公式サイト、かつて没になったと思われる要素から組み立てていきます。ゲーム以外のメディア媒体のOMORIや、他のOMORIファンの方々の考察を否定するものではありません。
 資料として貼らせていただく画像は原語版・日本語版の両方を含んでいます。

 以上を踏まえ、苦手な方やネタバレを見たくない方はご注意ください。

サニー一家の歴史

サニー一家がハルバル町へやってきた時期

 前回サニー一家は、父親が日本人、母親がアメリカ人であり、マリとサニーはそのハーフだという考察を致しました。
 そしてハルバル町へ引っ越す前に彼らがいた場所が「日本」である可能性について述べましたが、今回はその歴史を更に深堀していきます。
↓サニーがハーフであることを考察した前回の記事です

  四年前の現実において、バジルは友だちの写真を撮っていました。それには日付が記載されており、バジルの細かなコメントたちから、この四年前の年代を特定できます。
↓年代を詳しく特定している記事です

 これによって、四年前の友だち6人が集まって遊んでいた時代は1996年であると仮定することができます。
 したがって、作中の現実の年代は2000年となります。
 さてここで、前回の記事の終わりに添付したファイナルデュエットのムービーの画像をもう一度見てみます。

サニーとマリが成長し、友だちと出会う様子

 まず左上のサニーとマリですが、恐らくこれは家族写真と同じ時期の二人を映したものであると思われます。

 この頃のサニーは母親が片手で支えれば一人で座ることができ、また回想シーンのように、マリが手を添えれば立ち上がることさえできます。
 子ども、殊更乳児の成長は個人差が大きいと知られていますが、こうして足がしっかりと発達しているのは生後約10か月です。仮にこのサニーが生後10か月だとすれば、これは五月の写真となり、この時のマリは4歳2か月となります。
 回想シーンで二人の成長が描かれているのは3段階ですが、この3段階目であっても二人は「あの四年前」より幼く見えます。この3段階目の後には12歳のサニーが過ごした友だちとの思い出も描写されるため、この3段階はサニーが12歳になるまでを3回に分けた時間である可能性があります。
 であるならば、左上のおしゃぶりをしたサニーが10か月、右上のセーターを着たサニーが4歳、灰色のTシャツを着たサニーが8歳、と考えることができます。
 するとこの時のマリは、丁度1つ後のサニーと同じ年齢になり、左上のオーバーオールを着たマリが4歳、赤いリボンのついた服を着たマリが8歳、チェックの服を着たマリが12歳、となるのです。
 サニーが12歳の誕生日を迎えたのは、バジルが写真を撮るようになってからであり、マリは16歳を迎える前の秋に亡くなってしまいました。

12本の蝋燭を吹き消そうとするサニー

 また偶然か必然か、物語の現実はサニーが16歳である12歳から「4年後」です。ずっと隣にいたマリの背中を追っていたサニーが、自らの手で姉の命を奪い、自分だけが成長し、悔やんできた己の生きた時間を克服する表現として、この回想シーンが4年ごとの二人の成長を描いているのかもしれません。

 話を戻し、回想シーンの丁度3段階目ではヒロ、そしてケルが二人の元にやってきています。

マリのそばにヒロがやってきた後、サニーの隣にもケルが現れる

 先ほどの推測を引用すると、これはサニーが8歳、マリが12歳の頃のものであり、同時にこの時に二人は日本から引っ越してきた可能性があるのです。
 「4年前」が1996年だとすれば、この時期は1992年に当たります。
 1990年初頭では、日本に大きな不況が訪れています。バブル崩壊と呼ばれたこの大不況は、それまでの景気の良さから一転、失業者や倒産する会社を多く生み出していきました。
 1992年にサニー一家が引っ越してくる理由に、このバブル崩壊の影響があってもおかしくはありません。

バブル崩壊と照らし合わせたサニーたち一家

 また、サニーが作り出したヘッドスペースには「仕事」を思わせる「サイゴノ楽園」が登場します。
 サイゴノ楽園は、元々は有名なリゾートでしたが今は経営が落ちぶれ、最終的に社長であった鮫羽田社長はヒロに全てを託し、自身はバカンスへと旅立ってしまいます。

4年前付近をモチーフにしていると思われるヘッドスペースは199x年

 サニーにこの「会社」や「仕事」のイメージを抱かせ、また鮫羽田社長のモチーフとなった人物として、彼の父親が考えられます。

縦縞のシャツを着た人物の腕時計とネクタイの有無

 家族写真に写る父親は、右手に腕時計を付け半袖の縦縞のシャツを着ていました。
 一方で、サイゴノ楽園で社長であった鮫羽田社長は、縦縞のスーツを着て、左手に金色の時計をし、赤いネクタイを締めています。
 ワニエージェントも社長に似た縦縞のスーツに青いネクタイを締め、業務を行っています。
 Switch版の追加コンテンツとなった、ネクタイを締めた結果感情が暴走したヒロ社長との戦闘では、彼のスーツ姿を見ることができますが、ネクタイを締めただけのはずが、いつの間にか彼は縦縞のスーツを着ています。

 普段のヒロは縦縞のシャツのようなパジャマを着用しています。そのヒロが「ネクタイを締める」という行為によって豹変した……つまり、「仕事」によって人格が変わってしまう、というイメージがサニーの中にある可能性があるのです。

 本項では深く掘り下げませんが、個人的にサニーがヘッドスペースの友だちに求めていたのは「家族」のような関係だったと考えています。

「幸せな家族」と自分たちを例えるケル

 オモリルート、もしくは引きこもりルートでケルは自分たちを「幸せな家族」と形容しました。これは、サニーが自身の唯一残されていた家族写真に抱くイメージと同じです。

 この「家族」の中で、ヒロは父親の役目を与えられていると考えています。故に、ヒロがネクタイを締め「仕事」としての姿になってしまうことが暗示しているのは、サニーの父親も同じように「仕事」をする時には彼へ冷たい印象を与えるような人物だった、という可能性です。

 話をサニーの家族が引っ越してきた理由へ戻しますと、サイゴノ楽園、そして鮫羽田社長がサニーの思う「仕事」や父親の姿からできているとすれば、サイゴノ楽園の顛末を父親と会社になぞらえて考えることもできます。
 父親の会社は大企業であったものの、やがて経営が上手くいかなくなり、会社は倒産した…というこの推察は、1990年代初頭のバブル崩壊という事実があることによって、より説得力のあるものとなります。
 また父親が勤めていたのが大企業であるならば、母親と出会ったきっかけ、つまり日本人であるはずの父親がアメリカ人の母親と出会ったきっかけに「海外赴任」が考えられます。
 また、「赴任」があれば「帰任」もあります。赴任から数年経てば、父親は日本へ帰ってくる必要があるのです。するとアメリカにいたはずのサニー一家が、1992年には日本から引っ越してくる理由が分かるのです。

サニー一家の歴史

1984年にサニーが生まれ、1992年に日本から引っ越してくるまで、サニーたちはどこにいたのか

 ここで一端図解して整理しましょう。
 19XX年、大企業に勤務していた父親は、日本からアメリカへ海外赴任を命じられアメリカへとやってきました。
 19XX年にアメリカで母親と出会い、そして結婚します。それから1981年には長女であるマリが、1984年には長男であるサニーが誕生しました。
 この母親と出会ってから、サニーが生まれるまで、家族はアメリカにいたと考えていいでしょう。サニーの誕生である1984年から1992年のどこかで、父親の帰任に合わせ一家は日本へと引っ越しているはずです。

 この時期を推察するヒントになるのが、もう何度目かのご紹介となる「幸せな家族」の写真です。

「幸せな家族」

 冒頭でリンクを添付させていただいた、「バジルの写真から4年前の時代を推定する」記事の中でも触れたのですが、海外の文化の1つに「その一瞬を切り取って保存するために、写真を撮る」という考え方があります。
 バジルの写真も「失うのが怖かった、友だちと過ごす大切な時間」を切り取るために撮られていたことが考えられ、隣家であるケルとヒロの家族写真では、正に「サリーが誕生した時の家族」を記録するためにあの写真が撮られた可能性が高いです。
 特に隣家の家族写真のように「生まれた当時」の子どもや家族を保存する文化を「ニューボーンフォト」と呼ぶそうなのですが、ではここでサニー一家の「幸せな家族」の写真はどうでしょうか。

 「サニーの家族と日本」の記事でも触れさせていただきましたが、このサニーは大体10か月前後であると考えられます。「その瞬間」を保存するとすれば、サニーが誕生してから10か月が経過した頃を「サニーが誕生した時」として保存するのは不自然です。
 ではこの写真は何を切り取って保存したものなのか。それこそがサニーが抱くイメージの通りの「幸せな家族」であった家族の姿なのではないでしょうか。

 赴任してから帰任するまでが数年と言われていますから、マリが生まれた後サニーが生まれるまでの時間だけでも既に約3年と半年が経過してしまっています。二人が誕生する以前に、父親と母親が出会い、時間を分け合い、結婚生活を送っていた時間もあることでしょうから、サニーが写真のように生後10か月経つ頃には帰任が迫っているはずです。
 つまりこれは、「アメリカで過ごしていた幸せな家族」であり、一家が日本へ引っ越す直前の時間を切り取ったものである可能性があります。

 アメリカは別名「自由の国」と呼ばれます。当時の日本はまだまだ多様性とは縁遠く、大多数が正義とされることが多かった時代です。
 父親がアメリカで過ごした時間は、少なくとも日本とは異なる「自由」を彼に与えてくれたのでしょう。現地の人間であった母親と結婚し、子どもを二人も授かったとすれば尚更です。
 ところが、遂に父親が日本へ帰る時がやってきてしまいました。サニーが生後約10か月であれば、1985年の春か初夏のことでしょう。日本に帰れば、彼らは再び日本の「大多数」にもまれることとなります。
 当時、当然のことながら国際結婚は「大多数」ではありません。子どもたちや妻が、日本という文化の中に馴染んでいけるものか悩み、自分が再び規律を守る「正しい」一家の大黒柱として存在しなければならないと予見する父親は、多くの苦しむ時間を過ごすこととなったでしょう。
 だからこそ、輝かしく美しかったアメリカでの「幸せな家族」を記録したのです。

 残念ながら、この後一家が再び「幸せな家族」として時間を切り取ることはありませんでした。
 そしてバブル崩壊によって会社が倒産した一家は母親の故郷であるアメリカへ戻ってくることになりますが、その頃の彼らは「幸せな家族」からは想像もつかないような家族の形になっていたのです。

 次回はサニーのヘッドスペースという存在に触れながら、一家が辿った終点を考察・解釈し、まとめていこうと思います。
 閲覧ありがとうございました。この記事が皆さまのOMORIの解釈を手助けするきっかけとなりましたら幸いです。

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