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今日もサイレンがならない街で | 南米と東京と、長崎

私は長崎出身なので、南米に住んでいるときよく原爆について話すことがあった。そういうときは "Se cayó la bomba atomica(原爆が落とされた)"って受身形を使って主語を言わずに話してたんだけど、そしたら現地のスペ語の先生や友人たちが「原爆は誰かが明確な意志をもって落としたんだよね?うっかり落ちてきたものでもないものに受身形を使うのはおかしいよ」と言う。「誰が落としたの?アメリカ?なら、"EE.UU. arrojó la bomba(アメリカが原爆を落とした)"とかだよ」と。そして、「アメリカが憎い?」ともよく聞かれた。

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(南米生活1ヶ月目にして原爆についてプレゼンしたときの資料。スペ語があんまできんかったので赤字ばっかり笑)

南米でも Nagasaki という名前は意外と知られていたと思う。「長崎出身」と言うと、後日会った時に「広島出身だったよね?」と言われることも多く、たぶん色々混同はしているんだろうけど、まあそういう"歴史"は知られていると言うわけだ。しかしよほど日本や歴史に興味がないと、原爆そのものに対する理解はすごく曖昧で、私のまわりには以下の2パターンが多かった。その1、「原爆って他の爆弾と何が違うの?同じようなもんでしょ?」タイプ。その2、「広島も長崎もいまは人が住めないんでしょ?草木も生えないんでしょ?」タイプ。(おいおい私は長崎出身って言ってるやんと思わずツッコミを入れたくなった)

こんなことを書くと、「南米では原爆のことあんまり知られていないじゃないか」と思われるかもしれないが、こういう「原爆に対する認識の違い」は私はむしろ長崎から関東に出てきたときの方が衝撃的だった。

長崎では、8/6 8:15と8/9 11:02と8/15の正午にはサイレンが鳴る。特に小中高だと8/9は登校日になっていて、夏休み中にも学校に集い、各教室で原爆について学んだあとで、全校集会で11:02に鳴るサイレンにあわせて黙祷をするというのが習慣だった。低学年の頃に見た原爆のアニメで、爆発の瞬間に目玉が飛び出ちゃうシーンがあって、アニメでも結構怖かったのをよく覚えている。原爆資料館にも小学校3〜4年生くらいのときに学校行事で行ったけど、資料館はまだ今みたいにきれいに改装されていなくて、リノリウムの床の薄暗い資料館で、被爆した方々の写真を見たりするのはちょっとトラウマになりそうだった。泣いちゃうクラスメートもいた(ちなみに私は大人になってからも何度も行ったけどそのたびに泣きそうになる)。

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関東に出てきて、サイレンもならなくて、原爆の日も終戦の日もあまりに普通の日として過ぎていくので本当にびっくりした。それどころか、周りの友人知人に、原爆が落ちた日や時間すら知らないという人もいた。本当にびっくりした。長崎のような、小さい頃からトラウマレベルの原爆教育を全国で実施してほしいわけではないけど、もう少し平和や原爆について知ったり興味を持ったりするような環境が、まずは唯一の被爆国日本で、そして世界で、実現されればいいのになと純粋に思う。


核兵器はいまも世界中にあって(しかも広島や長崎に落とされたものより強力なもの!)、そしてそれらはうっかり落ちてくるわけはなくて、使われるときには誰かの明確な意志が存在している。核兵器が使われてしまったら、人間はまず人間的な死を迎えることはできません。当たり前の日常は一瞬で吹き飛び、きっとこの平和な世の中はなくなってしまうだろう。

1人でも多くの人が原爆について知って、発信して、反対することで、もし今後誰かが誤った道に入ろうとしたときに、その誰かを止められる可能性が高まるかもしれない。

ニュージーランド首相が広島の日にTwitter上で「すべての国に核兵器を禁止するよう働きかけたい。核戦争がはじまったら、どの国もどの機関ももう手がつけられなくなる。自分たちで管理できないことは、絶対に避ける必要がある」と力強いメッセージを発信していた(これが唯一の被爆国である自国の首相でなくて本当に残念だ)。

(Twitterのビデオまで表示されない場合は、ぜひ元ツイートからみてみてください!)

NHK広島がSNSで情報発信をしていたり(これを見ていると爆発の瞬間は生き残ってもそれからがまた地獄だというのがよくわかる・・・)、

BBCがスペイン語でかなり詳しく被爆者の特集をしていたり、

また、いまは若い方々もいろんな活動を行っている。一人でも多くの人に原爆について知ってほしいし、原爆資料館に足を運んで欲しい(コロナが収束したらね!)。

冒頭の南米人からの問いだが、正直に言うと、私はアメリカに憎しみなどは持っていない(被爆者の方々はアメリカが憎いのかな)。ただ戦争は憎い。アメリカが原爆を落とすことになった状況自体が憎いと思うし、今後もそういう状況を作りたくはない。私の家族も友人も誰も、戦争や核兵器で失いたくはない。だから戦争も核兵器も世界からぜんぶなくなればいいと思う。

私の祖父母もいわゆる被爆者で、特に祖父が被爆時に働いていた工場では、即死してしまった同僚もいたらしい。私が幼い頃に亡くなってしまったので残念ながら直接話を聞くことはできなかったが、いずれにせよ原爆が落ちたときに祖父母が亡くなってしまっていたら、私という存在は今ここにいないことになる。そういう意味では、私もあの戦争の生き残りなのだ。だから余計に、原爆で無慈悲に理不尽に奪われてしまった命、その犠牲者の方々が未来につなぐはずだった命の数々を思うとたまらない。たまたま生きている私はこんなに毎日毎日ネトフリ見ながらビール飲んでいていいのかとすら思う。その焦燥感が夏は特に強くなる。だから今日は、慣れないNoteなど使って記事を書いてみました。

これを見た人が、少しでも、原爆について知りたい、と思ってくれて、1mmでも世界平和に貢献できたら幸いです。長崎が世界最後の被爆地になることを心から祈ります。

2020年8月9日 黙祷

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