片付けのロールモデル

わたしが毎日、少しずつ片付けに取り組む理由の1つは、家の中や頭の中が散らかると、魂が穢れてしまったような、情けない心持ちになるのに対して、物心両面の無駄を省き生産的な活動に没頭すると、あたかも宗教的、精神的に高められた気がするからです。このような経験に共感いただける方がいらっしゃるか心許ないですが、『日本霊異記』巻十三「女人の風声なる行を好みて仙草を食ひ、現身を以て天を飛びし縁」には、片付いた生活を送ることで宗教的な体験をした人間が登場し、わたしは往古に知己を得たかのような感動を覚えます。

この「女人」が『日本霊異記』の中でどう描かれているか引用してみましょう。
・自悟(ひととなり)、塩醤(まさなること)を心に存せり
 【現代語訳】行いが気品に満ちていた
・日々に沐浴(かはあみ)して身を潔(きよ)め、綴れを著(き)たり
・野に臨む毎に、草を採るを事とす。
・常には家に住(とどま)りて家を浄むるを心とす。
・菜を採りては調へ盛り、子を唱(よ)び端座(しきみをなほ)して、咲(ゑみ)を含(ふふ)み馴(むつ)れ言ひ、敬を致して食ふ。
【現代語訳】摘んできた野草を調理し終わると、食器に盛りつけ、子供たちを呼んできちんと座らせ、にこやかに笑みを浮かべ、和やかに家族の者たちと語り、感謝して食事をした。

行いは気品に満ち、身体と住居を清潔に保ち、野原に出ては草を積んで料理をし、子供たちと和やかに食事をする様子は、これを読む現代人の心をも打ちます。この説話には、この「女人」が「風流(みさお)なることを好」んだことにより、「神仙に感応し、春の野に草を採みしときに、仙草を食ひて天を飛」んだと述べられています。極めて宗教的な体験です。

わたしたちは、この「女人」のように、天を飛ぶことはないでしょうが、心身と身辺を片付けることで、精神的な昂揚を味わうことは可能そうです。

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